山行名 剱岳池ノ谷剱尾根、チンネ左稜線登攀
入山山域 剱岳池ノ谷剱尾根、チンネ左稜線登攀
山行日 1989年8月12日〜8月17日
メンバー 米澤弘夫、小澤剛、宮崎義則、福元章子(クライミングクラブ鹿児島黒稜会)

行動記録

 鹿児島に赴任した直後は、何度か北アルプスへ足を運んだが、ここ10年ほどは、ほとんど県外に出かける事もなくなってしまった。ところが、私が所属するクライミングクラブ鹿児島黒稜会の若手、福元がウワゴトの様に「チンネ左稜線を登りたい」と言うものだから、それでは連れていってやろうかと言う訳で10年ぶりに剱へ出かける事にした。ついでに一つ思い付いた事がある。今年から剱、穂高、谷川、北岳と4ケ所の岩場を年に1ケ所ずつ登って、それで遠出は打ち止めにしようという事である。鹿大山岳部の現役に声をかけた所、小澤、宮崎、尾原の3名が参加を希望した。

1989年8月12日 晴れ
 富山駅で、夏山合宿をすませたばかりの3名と合流したものの、尾原は体調が悪く、小澤、宮崎のみが同行する事になった。重荷にあえぎながら、小窓尾根を越え、夕暮れが迫るころ、池ノ谷の二俣にテントを張る。
 
8月13日 晴れ
 池ノ谷をつめ、三の窓にベースを置いた。社会人山岳会のテントが幾つか張ってあったが、学生時代に比べると数がずっと少なくなっている。この日は午後からジヤンダルム3本クラックで足ならし。夕食は牛肉のステーキと雪渓で冷やしたビール。富山湾に沈む夕日を眺めながらの恵まれた夕食は最高の一時である。学生時代には、ここで食料が切れて、ずいぶんひもじい思いをしたものだった。当時から見ると、夢の様な生活としかいいようがない。

8月14日 晴れ
 福元の第一希望はチンネ左稜線、鹿大パーティは剱尾根。今日は1日天気が良さそうなので、先ず剱尾根へ行く。左稜線は半日晴れれば登れるし、チャンスは幾らでもあるだろう。コルCから上部は数度トレースしたことがあるので、今回は、最下部、R10から取り付いた。R10自体はがらがらのルンゼが続くのみで登攀の対象外である。尾根筋に出ると、さすがに高度感がすごい。
 コルCまではほとんど草付か樹林帯をたどり、ザイルも数ヵ所使用するのみ。しかし、周りは巨大な岩壁が林立し、若い連中はスケールに飲まれ気味である。緊張した顔を前にすると昔の自分の姿を見ている様でつい微笑ましくなる。
 剱尾根の核心部、コルCからの登りは、昔は人工混じりで悪く感じたものだったが、今はフリー。少しは腕が上がっている様だ。現役パーティも危なげなく登ってくる。3年生の夏山を経験すると、ずいぶん強くなるという事を感じさせられた。ドームの門もあっけなく抜ける。コルAでザイルをとき、剱尾根の頭までの長いリッジをたどる。久し振りにスケールの大きなクライミングを満喫した。

8月15、16日 雨  
 15、16日と雨が続き、下山予定のよく17日も悪天候との事。これでは左稜線は取り付けそうにもなく「来たかいが無い」と福元がこぼしている。ここであきらめてしまわないのが古狸である。天気図から、午前中は天候が一時的に回復する事を読み取り、一応4時起床にして早目に寝る。

8月17日 曇り後雨
 起きて見ると期待通り星が出ている。喜び勇んでチンネへ向かった。他のパーティはあきらめたのか、起きてくる気配もない。米澤−福元、小澤−宮崎の順で登攀開始。始めの3ピッチは濡れていたものの、その後は岩も乾いて快適。下半部はもう少し緊張感が欲しい。呆気なく、上部取り付きに出た。この上2ピッチが核心部であり、高度感も出てくる。技術的にはどうという事もなく、快調に抜ける。現役ペアも楽しみながら登ってくる。このころから、ガスが巻き始めた。最後のピッチは福元にトップをゆずり、5時間でチンネ頂上着。
 高度感のあるリッジ登りは私の最も好むところである。これが2回目の登攀だったが、どちらも大きな満足感を与えてくれた。登攀距離も長く、剱岳を代表する好ルートである事は間違いない。私も福元との約束が果たせてほっとした。登れなかったら、何と言われるか分かったものではない。登攀終了と同時に雨が降り出した。日ごろの行いが良いとこういう物である。私自身は、II 峰南壁など、あと数本登りたいところがあったのだが、贅沢を言ってもしかたがない。リーダーとして最低限の役割は果たし、何とか、全員の希望をかなえる事ができたので、これでもって満足すべきであろう。
 現役の二人は池ノ平を越えて帰ると言う。二人と別れ、午後から雨に打たれながら福元と池ノ谷を下山。増水した白萩川の渡歩をくり返し、暗くなって馬場島着。翌朝起きてみて馬場島のあまりの変わり様にびっくり。あたりは良く整備されたキャンプ場。昔の小屋も今は閉鎖され、ホテル並みの宿泊施設が整えられている。学生時代は遠くなったと痛感した。(米澤弘夫)


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