山行名 本富岳「屋久島フリーウエイ」登攀
入山山域 屋久島モッチョム岳
山行日 1996年12月
メンバー 米澤弘夫、原田聖久、三穂野善則

行動記録

 俗に、永田岳北尾根障子岳、七五岳、本富岳を屋久島の3大岩壁と称するらしい。そのなかでも本富岳は、唯一その全貌が海岸道路より望まれるために、最もポピュラーな存在と言えるであろう。それは東面、南面、西面と岩壁をめぐらし、原部落を睥睨する様に天に向かってそそり立っている。特に南面は 高度差300bを越える大スラブとなって一気に切れ落ち、クライマーの登攀意欲をかき立てる。かって、この部分に、人工登攀を主体としたラインが引かれた。しかし、花崗岩のスラブでの人工登攀が単調に過ぎ、現在では、わざわざ屋久島まで来て取りつく人はいまい。
 南面の右半分は2段のスラブからなり、傾斜の緩い下部スラブにはフリークライミングで数本のルートが開かれた。しかし、垂直に近い傾斜を持つ上部スラブ正面はフリークライミングでは手の付けようも無く、現在でも、右半分のスラブ帯に上部までダイレクトに抜けるフリークライミングのルートが開ける可能性は無いと言えよう。
 それに比べ、左半分はやや傾斜が緩く、また複雑な構成を持ち、ブッシュも多く見られる。この部分に、昭和43年1月、クライミングクラブ鹿児島黒稜会パーティにより黒稜会ルートが作られた。このルートは、頂上を目がけ直上していく爽快なものであるが、全長の半分に近い樹林帯を含み、さらに下部ではボルト連打の人工登攀部分が続くためにいくぶんすっきりしない恨みがあった。
 しかし、その後、台風で多くのブッシュが禿げ落ちたために、黒稜会ルートの左寄りにラインをたどればほぼ岩だけを伝い、頂上まで達するルートが開ける可能性が生じ、南壁の中央をダイレクトにピークに向かって突き上るというロケーションの良さは、魅力的ではあった。そこで、フリークライムを主体としたまったく新しいラインを引くことを試みた。
 1996年の5月と8月にアタックをかけたものの、悪天候に阻まれ、敗退した。そうして、同年12月、今度こそはの意気込みをもって屋久島に渡った。

12月28日 快晴
 時間に余裕があったために鯛之川千尋滝右岸スラブ梅津ルートを登った。自分で作っておきながら、ボルトの間隔が遠いのには閉口する。もう少しボルトを打ちたさなければなるまい。それでも、岩質が良いので、非常に快適である。途中で濡れた部分があって手を焼いたが、まだ、5.9のスラブを余裕を持ってリードできたことに安心する。かろうじて、暗くなる前に展望台に帰り着いた。

12月29日 快晴
 まず、ルート工作を行う事とし、まだ暗いうちにベースを出、本富岳登山道をたどる。10時、下降開始。ボルトを埋めながら下降を続け、下部4ピッチにザイルをフィックスしてちょうど16時に取り付きに降り立った。

12月30日 快晴
 米澤―原田で下部からフィックスをたよりに登りながらルート工作を行う。三穂野はアプローチの整備と荷揚げを行った。1〜3ピッチにフィックスを残して下降。2、3ピッチはルート工作が完成していないものの、フィックスがあるのでこれに自己ビレイをとりながら登ればなんとかなるだろう。これでアタック体制が整った。3人パーティでは果たして1日で完登できるかどうか疑問ではあったが、そのことは考えないようにして眠りについた。真夜中に、ふと目が覚めると、手帳を開いてゴソゴソやっていた三穂野から明日のアタックは原田との2人で行ってはどうかと提案された。計算では、やはり3人パーティで取り付いた場合、明るいうちに抜けることはできそうにもないらしい。彼の気持ちを考えると忍びないものの、2人パーティの方が成功の確率が高いことは明らかであり、厚意に甘えて明日は2人でアタックをかけることにする。

12月31日 快晴
 明るくなると同時に行動を開始する。アプローチが整理されたので1時間20分程で取りつきに出た。1、2ピッチ目のフィックスは三穂野が回収し、3ピッチ目のフィックスはそのまま持ち上げることにした。歳を考えると少々辛いがトップは米澤とし、荷物はセカンドの原田が全てかついだ。この難度ではトップは空身でなければ登れるものではない。手持ちのボルトが4本しかなく、前途に不安を感じながら身支度を整える。三穂野と頂上での再開を約し、8時20分、登攀開始。

テクニカルノート
1ピッチ(30m,5.7) 
 フィックスザイルをつかんで三角岩の左に入る草付の凹角をたどる。ザイルの必要は感じない部分だが、途中で4b程のチムニーの抜け口が草付で塞がれているために身体が外に押し出され、不安定になる。ここに1本ボルトが欲しい。広い三角岩の頂上に出る。

2ピッチ(30m,5.10b,A1,ボルト7本(古いリングボルト4本))
 フィックスザイルにユマールでビレイを取り、安全を確保する。三角岩の左端からあぶみを使用して、幅10cmのバンドにはい上がる。ここから右斜め上に走る小凹角に入り、古いリングボルト4本をホールドにしてじりじりと高度を上げる。完全なフリー化も可能だろうが、5.10台の後半はある。5bほど登るとリングボルトは消える。先行者はここから退却したのであろう。いったん右のフェイスに出て一段上り、カンテを左に越えて凹角にもどる。この部分は露出感がすごく思わず身体がすくむ。凹角をたどると幅10 cmのビレイポイントにつく。ここは二人がかろうじてぶらさがれるだけのスペースしかない。セカンドはゴボーの連続。10 kg 近い荷物をかついではとてもフリーでは登れまい。このピッチにはあと4〜5本ボルトが欲しい。

3ピッチ(30m,5.10b,A0,ボルト8本)
 同様にフィックスザイルにビレイを取る。つるつるの凹角を登ると、少し傾斜が落ち、右の壁に走るフィンガークラックがホールドとして使えるようになる。両足で左右の壁をつっぱりながら10b程高度をかせぐ。ハングにさえぎられた所から左のフェイスへ出て、3ポイントの Ao を使って不安定なテラスへ這い上がる。ここにもあと4〜5本ボルトが欲しい。

4ピッチ(45m,5.8,ボルト7本、ハーケン1本)
 これからはフィックスザイルがない。気合いを入れ直して上部へ向かう。小凹角を右上し5b上の小テラスに立った。ここまで右から3ピッチ目の凹角が続いており、それを登ってここをビレイポイントにしたほうが良いようだ。そうすれば3ピッチ目は全てフリーで行けるような感じがする。さらにボルトを1本打ちたしながら10b登り、左のクラックに入る。最後までクラックをたどり、安定した草付のテラスに出た。ここでザイルいっぱいとなりハーケンを打ち込んでセルフビレイをとる。真冬とは思えぬ暑さに汗が吹出る。真正面から照りつける太陽が恨めしいほどの好天であった。

5ピッチ(25 m,A1 ( 5.10a?),ボルト2本)
 右の岩壁の下をブッシュ伝いにたどり、昨日掘り出した7bのハンドクラックに取り付く。豪快なレイバックは楽しい。右の壁にボルトを打てばフリーで行けるはずだがボルトが左の壁に打ってあり、プロテクションを取る態勢が悪いために、あぶみを使用して黒稜テラスに立った。

6ピッチ( 30 m, A1,ボルト10本)
 いったん3b下り、左へトラバース。ボルト伝いに A1 で高度を稼ぐ。7bで安定したスタンスにでた。すぐ上のスタンスに立ち、ボルトを1本埋めて草付まじりのスラブを登りバンド状のテラスに這い上がる。

7ピッチ (40m,5.10b,A0 ,ボルト20本)
 左斜めにルートを取り、白いスラブに出る。一部左のクラックに逃げながらボルト伝いにつるつるのスラブを登る。数ポイント A0 が混じったが、思いきって行けば、フリーで登れるかもしれない。上部は傾斜が落ち、ビレイポイントに着く。

8ピッチ( 45 m,5.10a,ボルト4本、ハーケン1本)
 左へ出て、凹角を右斜め上にたどる。草付に入る手前でバンドを左へトラバース。ステップを越えて、スラブへ出る。見た目よりも悪く、1本ボルトを打ちたし灌木帯に入った。これで手持ちのボルトは1本だけになってしまった。途中でザイルいっぱいとなり、上部岩壁の基部に走るバンドの直前の立ち木でピッチを切る。セカンドはそのままバンドまで移動させる。このバンドは安定しており、ビバークも可能である。大休止を取った。

9ピッチ(25 m, 5.9 ボルト7本)
 スラブを直登。下降したときには容易に思えたが、リードするとなると悪く感じる。追い上げられるように登って不安定なスタンスに立つ。

10ピッチ( 35m,5.10b, A0,ボルト25本)
 左へ出て、ボルト伝いに悪いスラブを直上。爪を立てるようなきわどい動作が連続する。途中で浮いているフレイクがあって気味が悪い。上部はホールドが無いために数ポイント A0が混じったが、上手な人にはフリーも可能であろう。草付の小テラスに着く。

11ピッチ(30 m,5.7,ボルト1本(他に古いリングボルト4本))
 草付の混じるスラブを右斜め上にたどる。この部分は黒稜会ルートと同じラインである。残置ボルトは相当に腐食していたが、打ち変えるわけにもいかずこれをプロテクションに使用した。技術的には問題なく安定したテラスに出る。ビバークしたくなるような気持ちの良いテラスだ。

12ピッチ(30 m,5.9,ボルト6本)
 トップを交代。スラブを直上する。ハンドホールドは乏しいが、傾斜が落ちるので難しくはない。トップが半分ほど登ったときに頂上から三穂野のコールが聞こえてきた。実にタイミングが良い。1b程のステップを越える部分が核心部か。灌木帯に入り、登攀終了。写真撮影の為のポーズを取ったりしながら最後の登りを楽しむ。15時40分頂上着。

 頂上で三穂野の出迎えを受け完登の握手を交す。この時に出されたビールはうまかった。
ゆっくりと休み、17時ころ降りにかかった。万代杉からライトをつけ、夜道をたどる。やけに道が長く感じられた。19時、展望台着。

 完全なフリールートとすることはできなかったが、登ったあとで爽快な充実感を感じた。頂上に一気に突き上げるラインは気持ちが良い。適当に困難な部分が分散されており、本富岳では最も快適なルートと言えるであろう。これだけ長く困難なスラブのルートは日本でも数少ないのではないかと思う。(追記:その後、1997年12月、全ピッチフリークライムで登り切る事に成功し「屋久島フリーウェイ」なる名前を付けた)(米澤弘夫)


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