春山北アルプス唐松岳八方尾根

西村正也5 野口みほ子1
2000年3月1日(水) 晴れ 
部室発(12:00)−西鹿児島駅発(12:55)−都城(14:48)−宮崎(16:00)−宮崎港発(19:10)
 鹿児島は春の陽気。半袖でも大丈夫なくらい暖かい。ペミカンが腐らないか少し不安であるが、気にせず出発する。たくさんの見送りを受けて出発。パンツ一丁でぷラットフォームを走る馬鹿者もいた。恒例の差し入れでザックが重くなる。野口は差し入れの重さに少しキレ気味だ。フェリーの中で早くも食い減らす。

3月2日(木) 快晴 
大阪南港−大阪駅−米原−大垣−名古屋−中津川−松本−信濃大町−白馬
 白馬を目指し、JRの鈍行を乗り継ぐ。騒がしい高校生が、多くてかなりむかついた。高校生になっても電車の乗り方も知らないのだろうか。あまりの幼稚さに腹が立った。米原からは、車窓から雪山が見えてきた。この辺で雪山が見えればまずまずの積雪量が期待できる。木曽福島からは雪が降ってきた。恒例の白馬駅前ビバーク。小雪の舞う中でふきっさらし軒下で寝た。ここの寒さが一番身にこたえる。

3月3日(金) 快晴 
起床(5:00)−白馬駅発(6:50)−白樺ゲレンデ(7:15)−八方池山荘上C1(15:15)
 朝、あまりの寒さでシュラフを抜け出すのがつらかった。唯一、暖房の効いた部屋といえばトイレしかなく本気でトイレの中で炊事しようか迷った。寒さで動きが鈍っていて出発準備が遅れたが、八方行きのバスに乗る。しかし、野口はいきなり凍結した道路に足を取られスッ転ぶ。そして。今日はスキー場をする。まずは初心者用の傾斜の緩いゲレンデから登り始める。最初は快調。しかし、上級者用のコブのあるゲレンデ野口がすごく苦労し始める。重荷と慣れない雪上歩行、そして靴擦れに苦しみだす。まだスキー場を半分も登り切らないうちにバテだし、この先やっていけるのか本当に不安になった。スキーヤーが物珍しそうにこっちを見ている。やさしく声をかけてくれる人もたくさんいたが、猛スピードで前を横切る人もいて怖かった。スキーヤーには赤旗に興味があるらしく何度も質問された。文登研の講師の方がいて原田光一郎さんを知っていらっしゃった。この方とは、3度も会い、いろいろと教わった。こんなところでボッカせずに文登研に参加しろと何度も誘われる。兎平を超えて、最後のリフトまで辿りつくものの完全に野口はバテる。時間的にも厳しくなってきたし、スキー場にはテントを張れないので、最後の一本だけリフトを使う。

3月4日(土) 曇りのち雪 
起床(4:00)−出発(7:10)−第二ケルン近くのトイレ横のBC(8:20)
 野口は、昨夜は寒くて寝られなかったらしく、昨日の疲れから食欲もない。朝飯もほとんど食べれないよな状態で元気がなく、かなり心配した。起きたときは、星が見え、白馬岳も見えたがテントを片付けているうちに急にガスってきて雪が舞い出した。天気は明らかに下り坂のようである。行けるところまで行って今日は、早めに切り上げることにする。石神井ケルンまで雪が飛ばされていて夏道の立ち入り禁止のロープが見えていた。石神井ケルンで休憩をとる。野口は、なんとか歩いているという感じで本当に元気がない。少し先に行ったところのトイレの横にテントスペースがあったので今日はそこまでにする。防風ブロックを積んでテントを張る。疲れの見える野口を寝かせる。湿雪がどんどん降ってきた。重い雪。寝る前には、新雪が40cm程積もった。テントの内張は、湿雪には無力である。どんどん濡れる。

3月5日(日) 晴れ 風強し 
起床(7:30)−出発(9:40)−第三ケルン(10:25)−BC着(11:10)−雪訓終了(13:20)
 風が強く出発を遅らせる。日曜日ということでリフトを使ってどんどん登山者が押し寄せる。スキーやスノーシューズを使っている人が多い。写真を撮りに来ている人も多い。晴れているが風が強く、八方池付近では体がよろめくほどだった。第三ケルンのところで休憩して、この風では丸山ケルンまではいけないと判断し、BCに引き返す。BCにて雪訓。各種の支点の取り方。竪穴式の雪洞の彫り方。その雪洞を改造してブロックを積みトイレを建設する。午後には風もやみ、天気も良くなってくる。酒を飲みまくる。夕食時にラジオを聞いていたら、奥大日岳で事故があった模様文登研らしい前々日に講師の方にいろいろアドバイスをもらっていただけに他人事に聞こえなかった。明日は高気圧が来て好天の予報。日程や天気の周期を考えるとこれが最初で最後のアタックチャンスだろう野口の靴擦れとスタミナが気になる。

3月6日(月) 快晴 
起床(4:10)−出発(5:50)−丸山ケルン(8:45)−唐松山荘(10:00)−唐松岳山頂10:40)−唐松岳山頂発(10:55)−唐松山荘(11:15)−丸山ケルン(12:00)−BC着(13:30)
 快晴。富士山もはっきり見える。昨日、風が強かったためか、丸山ケルンあたりは雪が飛ばされて地面が露出していた。野口にペースを合わせて、ゆっくりと慎重に進んでいく。丸山ケルンを超えると尾根がやせてきたり、岩が出ていたりして気の抜けない部分もあるが難なく通過する。唐松山荘に着くとさすがに国境稜線は風が強かった。しかし、雪をまとった剣岳の雄姿は何度見ても美しく、何度も写真に収めた。唐松岳へは強風に注意しながら一歩一歩確実に進んでいった。かなり時間的に遅くなったが、無事に唐松岳山頂に立てた。風が強く二人で写真を撮れなかったのが残念だったが、記念写真を撮りまくる。帰路は、もと来た道を慎重に下る。意外と早く テントに帰り着いた。一気にスキー場を下ってもよかったが、疲れてしまってもう一泊することになる。

3月7日(火) 雪 ガスで視界悪し 
起床(5:10)−出発(7:40)−八方池山荘(8:20)−兎平(9:40)−八方(10:00)−八方バス停発(10:55)−白馬駅(11:05)
 テントが傾くほどの強風。ガスで視界が悪く、視界20mくらい。行きは、無駄に並んでいるように見えた赤旗であったが、次の赤旗がかすんで見えるほどで苦労した。この八方尾根でのホワイトアウトの怖さを思い知った。この山行で初めてワカンを履いてみたが、新雪の下がクラストしていて使いにくかった。スキー場はマットそりの二人乗りで下る。スピードも出て面白いが横転すると体勢を立て直すのに無駄な体力が要ることが判明する。兎平にてこれ以上スキー場を下っても何の意味もないと思い、ゴンドラに乗る。下りたら温泉に直行した。なんとか唐松岳の山頂にも立てたし、満足のいく合宿だった。

3月8日(水) 雪 スキー
 昨日、野口を見送った後、もう1日だけ極寒の白馬に残ってスキーをする。白馬駅前でのステーションビバークも7回目になった。もう寒さにも負けない。バス代をケチり、スキー場まで早歩きで行く。4600円もの大金をはたいて1日リフト券を購入する。中野氏に借りたスキー板に怪しげな固定方法でプラ靴にスキー板をつける。初心者なのにこんなインチキ臭い道具で大丈夫なのかと心の中で疑念を抱きつつも、大金を投じてリフト券を買ってしまった手前、意地になって滑り出す。さすがに滑り始めはへたくそで10mも滑らないうちに転んでばかりだった。下のゲレンデは、雪が硬くこけると痛いので兎平まで行く。この辺は、雪は柔らかいものの吹雪で極めて寒かった。何度もこけつつも初心者コースを滑る。午前中はあまりにも下手なのでもう帰ればよかったと何度も後悔した。1本200円のジュースなんかには、目もくれず、昼飯も食わずに滑りまくった効果が午後になって現れて初心者コースなら転ばずに滑れるようになった。結局、朝8時半から午後4時過ぎまで飯も食わずに滑りまくったおかげで目に見えて上達したので満足し、白馬駅に帰る。今日は、松本まで行き、駅で寝る。

反省
無駄な装備を持って行き過ぎた。登攀用具をもっと減らしてもよかったのではないか。
野口は、体力不足。パワー、スタミナともに足りない。もっとトレーニングをしないと雪山は苦しいと思う。
装備を集めるのに手間取った。
準備期間中に屋久島にいたため、準備作業を野口に任せっきりだった。準備や勉強会などで美穂野OB、矢内、香川をはじめ多くの人に協力してもらえたからこそ、この合宿の成功があったと思う。とてもお世話になりました。

雑感
農学部4年 西村正也
 今回の山行は、どうやって野口の力不足を埋めるかを考えながらの登山だった。天候に恵まれ、無事、唐松岳を登頂でき、多くの成果を得ることができた。次への課題としては、スキーを交えた冬山山行がしたいということと長期間の雪山山行を行いたいと思っている。
 最後に。野口さん、本当にお疲れ様でした。スキー場でバテてた表情を今でも思い出します。(ビデオを撮っておきたかった。)今度は、マットそりではなく、スキーで八方を滑りましょう。

法文学部1年 野口みほ子
 今回は、とりあえずきつかった。でもその分身についたものは大きいと思う。唐松岳山頂に立ち劒を見渡すのは最高の気分だった。来てよかったと思った。しかし、ほとんど体力、パワー、知識のないミーゴ(注:雑魚、軟派)な私が登頂できたのは、準備を手伝ってくれた友達や先輩方、そして色々な装備を貸していただいた方々のおかげである。本当に感謝しております。また、西村さんがいてくれたからこそ無事に合宿を終える事ができたのだと思う。合宿中も迷惑ばかりかけていたし、実力においてかなりの差がある私を連れて行くのは本当に苦労した事だろう。すみません、西村さん。そして、一番こたえたのはスキー場ボッカだった。チャラチャラした若者を尻目に、何十回も死につつ、意識も朦朧となる中、ひたすら西村さんに追いつこうと必死になったが、その西村さんもどんどんちいさくなり、やがて消えた。その時の不安と孤独感は生まれて初めてのものだった。そしてこれは今だから言えることだが、私は一瞬思った。「このまま帰ってしまおうか」