ボルネオ・キナバル山(4095m)登山

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行動記録

メンバー
L太田五雄(K2企画、取締役)
浦西正雄(K2企画)
西村正也
ガイド SOPINGGI LADSOU

期間 2000年7月1日〜7月6日

7月1日(土)晴れ
5:55宮之浦発
6:20安房港着
7:00安房港発
9:38鹿児島港北埠頭
10:30いづろバス停発
14:30博多駅バスセンター
 本日は素晴らしい晴天である。安房発の始発のトッピーに乗り込む。船の中から宮之浦岳がはっきり確認できた。鹿児島市内は猛暑であった。鹿児島市内でもっとゆっくりしたかったが、そのまま10時半のバスで福岡へ急ぐ。福岡市内で渋滞にあい、多少遅れた以外は順調だった。福岡市内で登山店をまわったあと、料亭で夕食をとる。初めての料亭というところで食事をした。すごくリッチになった気分。

7月2日(日)晴れ
6:30起床
8:45ホテル発
9:15福岡空港国際線ターミナル
16:30福岡空港発
21:35クアラルンプール国際空港着
 福岡空港に着いたら、飛行機の故障のため6時間ほど遅れるという。出発がいつになるか現地へ問い合わせてもわからないという。なんということだ。マレーシアという国の適当さに先制パンチを食らった。航空会社から支給された食券を使う。昼間から空港のレストランでビールを飲みながら気長に待つ。現地と連絡がついたらしく、コタキナバルまでの乗り継ぎが朝4時までないという。今回は山を登れそうにないので出直そうかという考えもあったが、やはりここまで来たら、行くしかないということで出発する。なんとか5時間遅れで飛行機は飛び立った。機内から見えた台湾の山々、台北の町が印象的だった。クアラルンプールに降り立ち、ここで休憩用のホテルが用意されているはずだったが、その取り扱いをするトランスファーオフィスというのが見つからない。空港の職員に聞いて回るが、誰一人としてまともな答えをしてくれない。東京ドームが2,3個は余裕で入りそうなぐらいやたらと広い空港の建物内を2階から3階、4階へと散々歩き回された。やっと目的の窓口を見つけ聞いたら、コンコルドインというホテルへ行けと言われた。ホテルの送迎バスに乗り込みホテルに着いたら、何か書類が足りないらしい。証明書を空港まで取りに行けという。もうこの国の人は信用ならないと思った。もうホテルはあきらめて4時間空港で待つことにする。

7月3日(月)晴れのち雨
4:00クアラルンプール発
6:35コタキナバル着
7:05コタキナバル発
9:25パークヘッドクォーター
9:55登山口発
12:45LAYANG-LAYANG HUT
15:20Raban Rata Rest House
 空港のベンチで仮眠をとる。昨日からマレーシアに関して全くいいことがなかったので、周りにいる人が全員敵に見える。かなり人間不信に陥った。寝不足のまま飛行機に乗り込む。コタキナバルに着くと現地在住日本人の堀さんと現地添乗員のニベルさんが待っていた。ニベルさんは日本語が上手だった。コタキナバルは人が多く、車の数もすごい。街の中にバラックのようなオンボロ建物もある反面、鉄筋コンクリート造りの豪邸もある。この国の貧富の差はすごく激しいみたいだ。中国系の移民がとても多くてそして商売でかなり儲けているみたいだ。キナバルの山容が見える。熱帯雨林の中に突如、急峻に聳え立つ独立峰が印象的である。山頂の部分は岩が露出している。岩壁だけでも有に600m以上はありそうだ。毎日、決まって午後2時ごろからスコールが降るらしく、岩壁に白色に輝く小さい滝のように水の流れがあった。
 パークヘッドクォーターのレストランにて食事を取る。デザートのパパイアがとてもおいしい。ここで登山ガイドと合流する。陽気な登山ガイドで英語しか通じないが太田氏がこの山を30年前に登ったという話をすると興味深そうだった。準備をすると登山口まで車で行き、そこでニベルと別れた。
 最初から急登の連続。登山道はよく整備されている。道幅は、2mぐらいあり、雨が多いはずなのに屋久島のようにえぐれている場所はほとんどない。急な場所には手すり付きの階段がつけられている。約600〜1000mおきには必ず屋根付きの休憩舎があり水洗トイレもあった。10km以上もトイレのない区間がある屋久島の現状を考えるとずいぶんここは進んでいると感じた。
 登山道脇には巨大なシャクナゲやウツボカヅラがあってびっくりした。ガイドが日本語で「シャクナゲ」や「ウツボカヅラ」と言って生えている場所を教えてくれた。屋久島にあるような植物もあった。ヘゴなどは特に巨大だった。
 欄の多さはすごかった。まさに野生ランの王国だった。雑草のようにランが繁茂している。浦西さんは特にうれしそう。すごい、すごいと驚嘆していた。
 午後2時ごろ、ガイドが予期していたようにスコールが降ってきた。熱帯の雨だが、非常に冷たい。雨具を着けて急な坂を登っていく。
 太田さんは、寝不足と過労で調子が悪いようだ。浦西さんは高度障害がでてきたようだ。私もさすがに3000mを越えると息苦しくなってきた。1日で一気に標高3300mまで登るのだからあまり体によくないだろう。
 やっと前方にロッジが見えてきた。ロッジは西洋風で広く、寝床もベッドで快適だった。夕食後に焼酎三岳を取り出し、ガイドと一杯やる。ガイドはとても焼酎がうまいといって何度もお代りをしていた。屋久島名産の三岳は大好評だった。三岳をボルネオまで持って行ったのは我々が初めてではないか。
 部屋は日本に一度住んだことがあるカナダ人と相部屋だった。とても陽気な人だった。

7月4日(火)晴れのち曇一時雨
2:45 起床
3:15 出発
5:00 YAYAN‐YAYAN HAT
6:05 Mt. Kinabalu ローズピーク山頂
6:35 Mt. Kinabalu ローズピーク発
8:45 LABAN RATA着
10:10 LABAN RATA発
13:05 登山口着
14:20 パークヘッドクォーター発
16:30 Kota Kinabalu着
 暗いうちに起きる。今日、登頂を目指す人はみんな起きている。早朝3時なのに食堂は人がたくさんいる。小屋から、しばらくは樹林を登る。途中に何ヵ所か電燈があるのにはびっくり。ぞろぞろと登っていく登山者の列についていく。一筋のヘッドランプの明かりが上まで続いている。浦西さんは高山病できつそうだ。樹林帯を抜けるとロープがあり、宮崎の比叡山とよく似た岩のスラブが続いている。フリクションの効き具合も似ていて、フリクションだけで登っていく。樹林を抜けるとその上は、岩盤の上を登っていく。ひたすら広い岩盤である。そこに登山道には何百mもロープが張ってある。傾斜は緩く要所以外はロープなしでも登れる。標高4095mの山頂が近づいてくると酸素が不足してさすがに息苦しくなってくる。風も強くかなり寒い。山頂からはサウスピーク、セントジョンズピーク等の岩峰、遠くは海も見えた。しかし私には、ただただ寒かったという印象しか残っていない。下が熱帯ということで寒さ対策を怠ったツケがまわってきた。下りはガイドに高山植物の説明を受けながら下る。このガイドはよく植物の名前を知っていた。ロッジに戻り、遅い朝食をとる。それから下までの下り道は、ダラダラと長くてさすがに嫌になった。途中でガイドがとても大きいウツボカヅラがあるというので少し脇道に入って見に行った。化け物みたいに大きなウツボカヅラでガイドが中に入っている粘液を出して見せてくれたりした。こんな巨大な食虫植物を見たのは初めてでとても驚いた。登山口には、現地添乗員のニベルが待っていてくれた。パーククォータヘッドのレストランで昼食にする。毎日、中華料理で嫌になってきた。でもビールが安いのはうれしい限りだ。車でコタキナバルへ向かう。ホテルは、日本だったら多分、一泊3万円はするような高級ホテルだった。太田氏に外国における風呂の入り方のレクチャーを受ける。なんだかせからしいなあ。

7月5日(水)晴れ
サバ州立博物館見学
コタキナバル観光、ショッピング
19:15 コタキナバル発
21:30 クアラルンプール着
 夕方の飛行機で日本に帰国するので夕方まで観光をする。サバ州立博物館へ行こうとするが、完全にコタキナバル市内で迷う。そして、再び行きのクアラルンプール空港と同じ状態に陥る。あっちこちで道を聞くとみんなが適当に答えるのだ。この国の人は全然親切ではないと思った。結局、タクシーを使う結果になり時間もロス、料金も20Rmもぼったくられて二重に損をした。帰りのタクシー料金は行きの3倍の距離を乗って6Rmだったから相当ぼったくられてしまった。サバ州立博物館は広かった。私は、第2次世界大戦の日本がこの地域を占領した当時の記録がとても印象に残った。欧米各国の植民地支配からアジアを守るという大義名分のもと、この地を植民地としようとした日本の暗い歴史を見た。第二次大戦で現地の人が日本兵に奇襲攻撃をしたという吹き矢がたくさん展示されていた。戦況の悪化で日本からの補給が絶たれ、前線に孤立した日本軍はマラリアとゲリラからの吹き矢の攻撃で次々に死んでいったのだろう。戦争で負けたという事実や占領によってアジアの多くの人を苦しめたということは、あまり教科書では習わないことだけど日本人としてしっかり知っておかなければならないと思う。
 帰りは、デパートでショッピングを楽しむ。交渉すれば1〜2割ぐらいは負けてくれるようだった。錫製のジョッキを買った。その他に紅茶とコーヒーは安くていいものがあるとニベルから聞いたので空港でそれを買った。ニベルとコタキナバル空港で別れ、帰路につく。帰りは定刻通りにクアラルンプールに着いた。日本人がたくさんいてもう海外にいる気分はなくなってしまった。

7月6日(木)晴れ
8:30 福岡空港
10:30 博多駅バスセンター発
14:00 いづろ
15:30 鹿児島港発
18:15 宮之浦港
 広いクアラルンプール空港を飛び立ち、機内で一眠りする。朝の眠気をふっ飛ばすほどのエンジンの逆噴射に日本へ帰ってきたことを感じた。福岡は、熱帯のマレーシアより熱いような印象を受けた。鹿児島まで高速バス。鹿大山岳部の香川、野口、久保の3名が鹿児島港に見送りにきてくれた。高速艇トッピーの出航の時、防波堤の先端から飛び込んでくれた。他の乗客もウケていた。本当にありがとう。

反省
  • 今回は、会社の研修名目の登山ということでガイド付きの登山だった。いつもは案内している側が今回は逆に案内してもらうことでガイドの勉強をしようというものだった。研修なので旅費は全額会社負担だった。
  • 時間がなくて動物、植物をゆっくり見る余裕がなかった。
  • 標高4000mという日本では体験できない高度を体験することができた。日本ではあまり気にすることのない高度障害であるが、標高3500mを越えると注意をしなければならない。高度順応の大切さが少しでもわかったことはよかった。
  • キナバル山登山は、とても高山病にかかりやすい。このことは登山ツアーの添乗員の中では有名なことらしい。確かに海抜0mからわずか24時間くらいで一気に標高4000mまで登れば体が対応できずに高度障害がでることは当たり前なのであるが…。
  • マレーシアで人に道を聞いた場合、場所を正確に教えてくれる確率は極めて低い。だいたいの人は教えてくれるのだが、とんでもない所を教えてくれる。悪意を持ってやっているのか、本当に間違っただけかわからない。だけど日本のように親切でないことはわかった。

個人雑感
 初めての海外登山が実現した。待望の海外登山も終わってみればあっけなかった。言葉、文化の違いも思っていたより感じなかった。今回のキナバル山登山で海外の山が近くに思えるようになった。
(文責・西村)