ネパール・ランタン谷トレッキング
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メンバー
西村正也 
トレッキングガイド Deepak Amgai
ポーター Wab Baha Rur Thapa Masar

2000年9月13日(水)雨

福岡県小郡市実家発(6:15)―西鉄福岡駅(7:10)―地下鉄天神駅(7:23)―福岡空港着(7:40)―福岡空港発(8:30)―関西空港着(9:40)―関西空港発(13:10)―上海空港着(14:30)―上海空港発(15:20)―カトマンドゥトリヴァン国際空港着(18:40)
※時間はすべて現地時間・ネパールとの時差3時間15分遅れ

 出発の日。台風の接近であいにくの雨模様。母と姉の誘導作戦で次々に装備が増えていき気づけば荷物が10kg以上になってしまった。こんなことでは本当の旅人にはなれないと思いながらの出発だった。高校の頃、毎日この時間に乗っていた西鉄電車。なんか懐かしい。
 予約していた関空行きの飛行機は一番後方の座席になった。最後尾は狭っ苦しいけど後に誰もいないので意外と快適。福岡上空は台風の影響で揺れたけど四国上空から晴れてきた。窓からは本州四国連絡橋を3本すべて確認できた。空から見る日本は、隙間もないほど家が立ち並び山の上まで開発されている。もう日本には本当の自然は存在しないと思った。
 関西空港に無事降り立ち、ネパール行きの便の手続きをする。ネパール航空の飛行機は予想通り小さい飛行機だった。乗客の7割ぐらいが日本人だった。空いていて空席が目立つ。途中、上海に立ち寄る。給油のためだけだと思っていたら、トランジットパスをもらって空港建物に入れた。暇つぶしに土産物屋を見物する。ここで数人乗客が乗り込んできた。昨日、寝てなかったので思いきり機内で寝ていたら、食事やジュースなどをスチュワーデスが持ってきて何回も起こされた。
 飛行機が高度を落とすと遠くにヒマラヤの山々が見えてきた。やっとネパールへ来た実感が湧いてくる。無事、ネパールトリヴァン国際空港に着陸。一国の首都の空港とは思えないほどの小ささだった。周りはプロペラ機ばかりだ。タラップから歩いて飛行機を降りる。9時間も乗っていた飛行機だから記念に撮っておこうと思い、カメラのファインダーをのぞいたら手が映っている。なんだと思って周りを見ると目の前に兵士が立っていた。軍事上のことなのか、空港で飛行機を撮影することは禁止されているらしい。空港の建物に入り、ビザを30ドル払って空港で発行してもらう。
 空港の出口を一歩出るとそこには異空間が広がっていた。うすら明かりのなか100人近くの客引きが待っていた。すぐに客引きに取り囲まれる。殺気立っていてかなり怖い。客引きの1人に捕まって、タクシーに乗りホテルへ向かう。部屋を見せてもらったらツインの部屋でかなり広い。1泊10ドルは安いと思いそのホテルにした。フロントで書類にサインをしてチェックインを済ませるとロビーで日本語のできるホテルの人と英語混じりで少し話した。トレッキングをするのでガイドを紹介して欲しいと言ったらすぐに日本語が流暢なトレッキング会社のマネージャーがやってきた。屋上のレストランでネパールティーを飲みながら話をした。とても親切な人でいろいろ教えてもらった。明日、オフィスでいろいろ話し合いをしようと言うので、翌朝8時に来てもらうことにする。

9月14日(木)晴れのち曇一時雨
起床(6:30)―トレッキング会社(8:00)―カトマンドゥ観光(10:00―16:30)―トレッキング会社(17:00)―ホテル(17:30)

 昨日、約束した時間にトレッキング会社のマネージャーが来てくれた。トレッキング会社に出向いていろいろ話をする。こちらの希望は、標高5000m以上まで登ること。ゴーキョピークへ行きたいと言ったがルクラの飛行場がまだ工事中で2日間ぐらい飛行機が飛ばないらしい。日程的に難しいのでランタン谷のヤラピーク(Yala Peak)へ行ったらどうかと言われる。バスで行ける範囲で2週間という時間を考えるとランタン谷周辺が一番いいと勧められ結局ランタン谷をトレッキングすることに決定した。ガイドとポーター、バス代、国立公園入園料、ロッジの宿泊費、必要装備のレンタル代を合わせて日本円で6万円支払った。これで軍資金の約8割を使い果たす。帰りのことを考えるとちょっと不安になった。とりあえず契約成立。
 カトマンドゥ市内の観光に出る。人と物があふれかえる街である。リコンファームをするために航空会社を探しながら歩くがいきなり迷う。似たような町並みが延々続きとても分かりにくい。迷いに迷った挙句、地図を開いたら周りにタクシーの客引きや土産売りが私を取り囲んでくる。身の危険を感じて「No Thank You!」と言って逃げた。なんとか迷っているながらも周りが見えるところにやってきて航空会社のオフィスへ辿りつきリコンファームは無事成功した。それからいろいろ土産物を買いに行った。日本人と見るや10倍以上の値段を吹っかけてくる人もいるので絶対相手の言い値では買わないようにする。店の人と友達になったりしてそれはそれなりに楽しかった。帰りに再びトレッキング会社のオフィスに立ち寄る。マネージャーが気を効かせて日本語が少しできるガイドを選んでくれた。

9月15日(金)晴れのち曇一時雨
起床(5:30)―出発(6:00)―カトマンドゥ(7:05)―ドゥンチェ(15:45)

 朝5時30分にセットしたはずの携帯電話のアラームが3時ごろ鳴り始める。日本時間に合わせてしまっていた。なんてこった。一番、熟睡していた時間に起こされかなり不愉快。かつホテルのフロントで10%のTax(税金)を払わされる。(帰りは払わなくてよかった。どうなっているんだ!多分ボラれたのだろう)
 ガイドとタクシーでバスターミナルまで行く。物売りがたくさん付きまとってきて嫌だった。インド製のオンボロバスは最高に揺れた。でもツーリストバスと書いてあるだけあって周りのローカルバスよりは少しは新しいようである。車内中央の座席は一応指定席になっていて外国人が座っている。通路と空いた席は地元の人がどんどん乗り込んで来る。車掌が2名いて歩いている牛を追っ払ったり、料金の徴収をしたりしていた。
 前半は、まがいなりにも舗装道路で順調に進んだ。舗装道路の終わるところのドライブイン(日本のドライブインを想像してはいけない。ボロい食堂)で30分ぐらい昼食休憩があり、インドの国民食ダルバートを食べた。これから先がすさまじい難路であった。走っているバスが突然止まり運転手が外に出ていった。車両トラブルのようである。パンクしたらしい。20分ぐらい立ち往生。そのとき車掌を2名も乗務させている理由がわかった。こういうトラブルのときに修理するのも車掌の仕事なんだと。なんとか車が直りあとはなんとか順調に進んでいった。
 軍隊の検問所が3ヵ所ぐらいあって最後の検問所はザックを取り出して検問があった。特にビデオカメラを持っていないかどうか聞かれた。たった160kmくらいの道のりだが道が極端に悪いため8時間くらいかかる。振動でお尻が痛くなってどうしようもなくなった頃、登山口のドゥンチェに到着した。ロッジが立ち並びなかなか大きな街であった。

ドゥンチェの街
9月16日(土)曇のち雨
起床(5:30)―出発(7:50)―バルクー(9:30)―シャベルベシ(10:50)―昼食(11:30―13:00)―キャンジング(16:00)

 トレッキング初日。ある程度、自分で荷物を持って重いテントと寝袋などをポーターに持ってもらうつもりだったのになんと私は肩掛けバッグ1個しか持たなくていいらしい。すごい大名行列になってしまった。なんかポーターは不必要だったと思った。しかし雇ってしまった以上、しっかり仕事をしてもらわなければもっと意味がない。よく雨が降るらしくザックカバーがないのかと聞かれた。ないと答えたら買ったほうが言いといわれる。現地でザックカバーとポーターが頭で担げるように紐を現地で購入する。
 最初は谷沿いにつけられた車道を歩いていく。所々、ショートカットした道があり近道できる。シャベルベシで昼食。2時間以上もかけてゆっくりゆっくり昼食をとる。この国に5分で食べる駅の立ち食いそばのような概念はないだろう。昼食後はすごく急な坂をどんどん登っていた。ここネパールにもヒルがいてガイドはおへそに食いつかれていた。サイズ的には屋久島のヒルをちょっと大きくした程度だった。ヒルのことは、英語でリーチと言うらしい。
 途中の民家みたいなボロ屋でチャンという現地のお酒を飲む。アルコール度数は3%ぐらいであったがけっこう酔いがまわった。今日はボロボロのロッジに泊まる。焚き火を囲んでの食事。ニュージーランドのトレッカーといろいろ話をした。でも英語はあまり通じず。

キャンジング
キャンジング
9月17日(日)晴れのち雨
起床(6:15)―出発(9:15)―シャルポガオン・昼食(11:45―12:50)―ラマホテル(14:15)

 今日はいい天気。遠くの段々畑がきれいに見える。どんなに急傾斜地でも耕作をする現地の人の執念を感じた。朝食はゆっくり過ぎ。1人1人、作っているのでとても時間がかかった。今日も朝一番から急坂を登っていく。ゆっくりゆっくりと言いながらガイドはどんどん登っていく。私も負けずに追っていく。
 昼食中、食堂に蛇が出た。かなり大きな蛇だった。多分、日本のアオダイショウのような蛇、毒はなさそうだった。ホテルと書いてあるが民家の一室にベッドが2つあるだけでホテルと言えるような代物ではない。シーズンの初めのため、トレッカーは少ない。今日行っているルートは、いつもは通らないルートだそうだ。土砂崩れで対岸の道が通行止めのため、急きょルートを変更したらしい。
 今日の宿泊地、ラマホテルに着いた。ここはロッジが10数軒立ち並んでおり、かなりきれいなロッジもある。一番上にある大きなロッジに泊まったが、今日ここに泊まるのは我々だけであった。かまどのあるキッチンで食事をとる。ネパールの国民食、ダルバートもだんだんおいしく感じられるようになってきた。

ラマホテル
9月18日(月)曇のち雨
起床(6:30)―出発(8:50)―ゴラタベラ(10:20)―ランタン(12:45)

 3日目にしてやっとネパール流のゆっくりペースのトレッキングに慣れてきた。谷沿いにつけられた道をどんどん上がっていく。鉄パイプなどの建設資材を担いだポーターを何人も抜いていく。日本だったらヘリで建設資材を運搬するがこの国ではすべて人手による運搬なのだ。3日も4日もかけて麓から人の手で担ぎ上げている。これでも国の人件費の違いが分かった。街道沿いでは、ロッジの建設ラッシュだった。どこでもコンコンという石をハンマーで割る音が聞こえてきた。主な材料はそこら中に落ちている石で家を作るわけである。一つ一つ手作業で石を割っては積んでいくという地道な作業である。
 今日は昼過ぎのロッジに着き、そこで昼食にする。次のロッジへ行けないのかと聞いたらまあそんなに急ぐことはないよと言われた。夕食時にポーターが高山病になったから下りたいと言い始める。お金を返してくれるならいいよと言ったら、これから下るのに3日もかかるからそれはできないと言う。なんてこった。山で商売をするものが客より早く高山病になってどうする!!

ランタンのロッジ
朝食
9月19日(火)曇のち雨
起床(7:30)―出発(8:20)―キャンジンゴンパ(10:10)

 ポーターは帰るのかと思ったが意外にもついて来た。下りたいと言い出したのは、多分、荷物が重くて嫌だったとかそういう理由だったのだろう。この辺から私も高山病が怖くなってきたのでゆっくりゆっくり進んでいく。
 それでもたった2時間足らずでロッジに着いた。ロッジに着く直前に久しぶりに日本人とすれ違う。相手は広島大の人だった。久々のまともな日本語を話すことができてなんだかうれしかった。ポーターがロッジの前でテントの試し張りをしようというのでやってみる。このテントがボロ過ぎる。ポールの中のゴムがなく、一部のポールは折れてそれを強引に直しただけのものだ。天井の紐が切れており天井が垂れ下がって頭がつかえる。さすがに天井だけは修理してくれと言ったらポーターが針と糸をロッジから借りてきて縫ってくれた。
 ガイドと翌日からの行動について打ち合せる。しかし、BCまではガイドが着いて来てくれるけどそれ以降はあなた1人でやってくださいと言われる。なんてこった。BCに荷物を置いておいたら誰かが盗んでいくそうだ。BCでガイドとポーターを荷物の見張り番をさせるにはもっとお金がかかる雰囲気。でもそんな金、全く持ってないよ!カトマンドゥでいくら払ったと思っているんだ!文化の違いに多少腹が立ってきた。

キャンジンゴンパにて
キャンジンゴンパにて
9月20日(水)雨のち曇
起床(6:30)―出発(11:50)―BC(15:30)

 昨夜の話で、盗賊が出て一人では危ないので3名でBCまで行き、ガイドとポーターがベースで待っていてくれるとのこと。とてもありがたかった。
 今日の出発はなんと昼の12時ごろ。昼食をとってから出発にするそうだ。こんなに遅く出発できるならならなんで昨日のうちにベースキャンプに行かないのと言いたくなった。でも高度順応とかあって多分、1日に稼ぐ高度の上限なんかも決めてあるらしかった。
 必要な装備(ピッケル、ガスコンロ、ガイド・ポーターのシュラフ)をロッジから借りていざ出発する。出発してすぐガイドがピッケルを貸せという。何に使うのかと思ったら、ガーリックスープを作るので草を掘り起こすのに使うのだと。器用に草を掘り起こし数本の草を摘み取った。すごく侵食された川を渡ると急坂になった。さすがに標高4000mを越えると息苦しくなってくる。がんばれば早く行けないこともないが高山病が怖いのでゆっくりゆっくり歩いていく。
 途中でヤクの放牧をしている親子に会いヤクのミルクを飲んでいかないかと言われる。小さな石で作られた家でヤクのミルクで作られたミルクティーをご馳走になる。何杯もお代りを勧めるので不思議に思ったが、後で聞いたら一杯70ルピーもするらしい。そらからは急坂を登ったあと大きな山体を巻くように登って行く。
 BC近くになってガスが少し晴れて前方に山が見えてきた。あれがYala Peakかとガイドに聞いたら違うと言う。もっと奥にある山らしい。
 BCは壊れた民家跡。周りには昔の集落だったのか、廃屋になった民家が5件ぐらいあった。ベースキャンプという名前とはふさわしくないくらいに汚いところだった。ボロのテントをその石垣の中に張るとポーターが水を汲みに行き、炊事をしてくれた。今日の夕食は、ガーリック入りラーメンとチュラ(一度蒸した米を乾燥させた保存食)だった。ガーリック入りラーメンは、下で摘み取ったガーリックが効き過ぎて翌朝、トイレに行くのが大変だった。チュラはなんか小鳥の餌みたいでお世辞にも美味とは言えなかった。さすがに標高4500mあるのですこし頭痛がしてきた。高山病の初期症状が出てきた。しかし、それ以外は快調だった。

キャンジンゴンパ
いざ出発!
9月21日(木)雨のち曇
起床(5:30)―出発(7:10)―Yala Peak手前(9:00)―Yala Peak手前発(9:20)―BC(10:00)―BC発(10:40)―キャンジンゴンパ(12:50)

 朝3時に起きる予定だったが、テントをパチパチと打つあられの音がした。昨夜のガイドとの打ち合わせでは、ガスが出たり雪が降った中では登頂は無理だと言い聞かせれていたので今日はキャンジンゴンパまでだろうと思っていた。
 6時ごろになって明るくなってから外に出ると外は50m先も分からないほどの濃霧だった。Yala Peak登頂は完全にあきらめて帰る準備をしようとしているころ突然、霧が晴れてきた。ガイド達が上へ行こうというので行けるところまで行くことにする。
 広い丘のような地形を登っていく。濃霧では危ないと言われた理由がわかった。道らしきものはない。空気が薄くさすがに息が上がる。ガイド達にはついて行けない。1時間ほど行ったところから昨夜降った新雪がうっすら積もっていた。5000m近くになって草もほとんどなくなるとガレた道を登っていく。所々ケルンが積んであり道らしきものがこの辺からはっきりしてくる。ゆっくりゆっくり登ってもすぐに息が上がる。想像していた通り5000mでもかなり苦しかった。ガイドはこの高度には慣れていてすいすい登っていた。
 ケルンのある小ピークに立つ。Yala Peakを登るには一度50mくらい下って再び登らなければならない。左には大きい氷河があって、手提げカバン一つとピッケル一本という貧弱な装備で行けるのかどうか不安になった。おまけに水すらテントに置いてきてしまった。ガイドは運動靴、ピッケルなしである。こんな装備で氷河を渡って岩壁に取り付く気分も一瞬で失せて、ここで引き返そうとガイドに告げる。
 ガイドもなんか安心した表情でまた来た道を引き返していった。BCにはポーターが待っていてくれて緑茶(なぜか日本製、そして砂糖をたっぷり入れる)を沸かしてくれた。テントを畳、キャンジンゴンパに戻る。再び濃霧になって小雨も降り出した。最後の急坂で左足のマメをつぶし、七転八倒の痛みに耐えながら下っていく。なんとかキャンジンゴンパに着いた。そしたら昼食の後、ランタンまで下らないかとガイドに言われた。しかし、足のマメが痛いので今日はここまでにした。
 夕食の後、ガイド達とネパール式ビリヤードのようなものをした。ルールはとてもシンプル。正方形のフィールドの四方に穴が開いていて、そこに指でコインをはじきコインを多くいれた方が勝ちというものだった。コインをはじく力加減が難しく、どうしても強くなって穴に入らないことが多かった。さすがにガイド達ともすごく仲良くなった。

9月22日(金)晴れのち曇
起床(6:00)―出発(8:40)―ランタン(10:10)―ゴラタベラ(11:45―13:00)―ラマホテル(14:20)

 朝起きたら、ポーターが山の景色がいいよというので外に出たらこのトレッキング初めての快晴。北東尾根上の小ピークの方へ登り写真を撮りまくる。もう少し朝早く起きていたらもっとよい写真が撮れたのに…。ちょっと後悔した。フィルム1本分を今朝だけで撮り尽くす。眺めのよいキャンジンゴンパを後にラマホテルを目指す。どんどん下っていく。天気がよく快適である。下からトレッカーがどんどん上がってくる。ポーターもどんどん上がってくる。日本人は、この季節ほとんどいない。ランタンの集落を過ぎ、軍のチェックポストを過ぎると森の中に入る。
 予定通りラマホテルに着き、行きに泊まったホテルに行ったら今日は満員だそうである。一段下のこじんまりしたホテルに泊まる。ご主人はかなり丁寧な日本語を使ってきた。ガイド達の情報では、大規模な土砂崩れがあってバスが3日間ぐらい通行止めになったらしい。いつ開通するのかと訪ねたらわからないという。航空券は、もうリコンファームを済ませてしまってもし26日夜までにカトマンドゥに帰りつかなかったら航空券が紙くずになる。そうガイドに言ったら、まあ心配してもなるようにしかならないよといってあっけなかった。
 翌日からの計画を変更して1日早くドゥンチェへ下り、バスが開通するまで待つとのこと。この日は、ロキシーというネパール風の焼酎を飲んだ。もう高度にもすっかり順応したので12度ぐらいある酒を2杯もお代わりした。最高に気持ちよかった。

9月23日(土)雨のち晴れのち曇
起床(7:20)―出発(8:40)―バンブー(9:40)―シャベルベシ(12:40―13:40)―ドゥンチェ(16:50)

 朝、激しく降っていた雨が出発直前にぴたりと止んだ。空は快晴。これから10月になるとどんどん天気がよくなってくるらしい。朝の雨で沢はすさまじい水量。だいたいヒマラヤの沢は、今のシーズン(秋)、年間で一番、水量が多い。ガイドはラフティングというゴムボートに乗って急流を下るスポーツを勧めていた。1日30ドル(約3300円)で丸1日楽しめるそうだ。次にネパールへ来るなら絶対やったほうがいいよと勧められた。
 ラマホテルから急坂を下っていくと吊り橋を渡る。そこからしばらく下った所にバンブーという村がある。その村の近くでこの前大規模な土砂崩れがあったらしく、村のロッジでは復旧作業に追われていた。シャベルの村の方へは上がっていかず、シャベルベシの方へ沢沿いを下っていく。一度、小さな村でお茶飲み休憩をとった。
 シャベルベシの高級そうなホテルで昼食をとり、遥か坂の上のドゥンチェを目指す。鉄橋のところの土砂崩れの復旧現場で怪しい軍服を来た人が4,5名、何かしていた。よく見たら我々の通る真横でダイナマイトを岩にさし込んでいるではないか。危ないじゃないか!足早に通りすぎる。
 ドゥンチェまでは林道を近道した急坂がひたすら続き、暑くてのどが乾いて大変だった。次の村ですぐにミネラルウォーターを買う。ドゥンチェのホテルにてバス開通の情報を聞く。今日からバスが開通したらしい。ガイドにはもう1日ここでゆっくりしてもいいのではと言われたが、再び土砂崩れが起ってバスが普通になったら洒落にならないので、明日カトマンドゥに下ることを決定した。久しぶりにビールを飲み、ガイドとポーターと夜遅くまで話した。

9月24日(日)晴れのち曇
起床(5:30)―出発(6:15)―落石のため通行止め、復旧作業(8:30―9:40)―バスの前輪故障(10:50―11:20)―カトマンドゥ(15:20)

 ビールが入ったおかげで昨夜はとてもよく眠れた。バスの出発時間は6時半頃。日本のように時間ピッタリ出るわけではなく、運転手の気まぐれで出発する。帰りも再び同じ運転手、そして同じバスであった。チェックポストで行きと同じく検査を受け、しばらく下ったら遠くのほうでジープとバスが立ち往生している。嫌な予感がしたと思ったら落石が道路の真中にあって完全に道路をふさいでいた。直径が2mぐらいあり、大人20人がかりでもびくともしない岩だった。バスの乗務員がバス備え付けの鉄の棒やジャッキを使っていろいろと試している。ジャッキと鉄の棒をてこの原理で動かしてじわじわと道路脇のほうへ寄せていく。この作業に約1時間。
 無事通過できたと思ったら、前輪が故障して再び約30分停車する。ネパールのバス乗務員は、毎日のようにバスが故障しているみたいだから少しぐらいの故障でも全然焦った様子がない。乗客もバスが故障したぐらいで怒る人もいないし、とてものんびりした国だと思った。
 ちょうど中間付近の舗装道路に辿りついたら鈍行が特急に変わるようにスピードアップ。パリラリパリラリと改造したクラクションを響かせて猛スピードで狭い道をかけ抜けて行く。気分爽快。
 無事、カトマンドゥ到着。ああやっと帰ってきたと思った。さすが世界三大公害都市。空気が汚い。すぐにのどが痛み出す。トレッキング会社ヘ行き、マネージャーのナラヤン氏のところに挨拶に行った。1日早く降りて来たので夕食はガイドがご馳走してくれるらしいので午後7時までどこかで時間をつぶすことにする。
 日本に連絡がとりたくなってインターネットカフェへ行った。そこには日本語が可能なパソコンがあって、辞書ソフトMS-IMEの旧バージョンが入っていて日本語でE-mailが可能だった。姉のところにメールを送る。メールを送った後、ガイドに夕食をおごってもらった。今日もまたネパールの国民食ダルバートだった。都会のダルバートはいろいろな具があってとてもおいしい。田舎から都会まで多種多様なダルバートを食べることができてかなりのダルバート通になった。

9月25日(月)晴れ
カトマンドゥ市内観光

 ガイドのデーポックがカトマンドゥを案内してくれることになって約束の時間、10時に彼のオフィスに行った。そしたら彼は銀行に行っているのでしばらく待ってくれとのこと。
 まあ仕方がないのでネパールティーを飲みながら新聞を読み時間をつぶす。高橋尚子、金メダルのニュースがスポーツ欄に大きく出ていた。英語で書いてあったのでなんとなく内容もわかった。よくがんばったと思いつつ、ネパールはメダルを取ったことあるのかと聞いたらまだないらしい。だいたいオリンピックというのは、大国が権力を示す大会であって、ネパールのような経済力のない国は全く勝ち目がない。標高5000mでサッカーをすればネパール人もメダルの可能性があるのに…。
 そういうようなことを考えていたら1時間遅れてデーポックが現れた。仕事だから仕方がないけど別に謝る様子もあまりなくごく普通に「おはようございます。」と言って現れた。こういうのがここネパールのペースなのだろうと思い、怒っても無駄だと思った。
 まず中央郵便局へついて来てもらう。生まれて初めて出すエアメールだった。日本まで送ってたったの15ルピー(約23円)。日本で市内に葉書を出すより安い。(約1週間遅れで無事日本に到着しました。)
 次は、バスに乗ってバクタプルという寺院へ向かう。料金が8ルピー(約12円)で約40分ぐらい郊外まで行ける。バクタプルの寺院はヒンズー教と仏教のお寺だった。なんで2つの異なった宗教が祭ってあるのかと聞いたけどガイドも知らないとのことだった。寺院からの帰り、ガイドが「ネパール、モモ、タベヨウ!」と言ったので、果物の桃を想像して店に入ったら餃子が出てきた。この餃子、結構おいしかった。20ルピー(約30円)と格安なのも魅力的だった。
 その後、ショッピングにも付き合ってもらうことにする。ネパールのCDが欲しかったのでガイドの行き付けのCD店へ行く。アルバム1枚500ルピー(約750円)、日本に比べたら格段に安い。タメル地区だともう少し高いそうだ。あとは母に宝石と紅茶を買った。宝石は、素人はあまり手を出さないほうがいいと思った。22ドル(約2400円)も使ったのに帰ってからも「これ偽物じゃない?」とか言われた。せっかく気を効かせたのにもうおまえらになんか2度と買ってやるもんかと思った。(宝石、美術品は、素人は手を出さないほうが無難。)
 インターネットカフェでE-mailを日本に向けて打つ。昨日のメールは確実に姉に届いたらしい。家で大騒ぎになっていた。日本の情報をインターネットで仕入れる。ダイエーホークスのマジックナンバーは5になっていた。デーポックと夕食を共にする。今日はチベット料理を食べる。チップを7ドル渡したらとても喜んでいた。明日、さよならを言いたいのでオフィスへ来て欲しいとのこと。

バクタプルの寺院 バクタプルの街
9月26日(火)曇
カトマンドゥ市内観光―ホテル発(19:00)―トリヴァン国際空港着(19:30)

 今日は、ネパール最後の日だ。お金に余裕がなくなってきた。とりあえず旧王宮前広場にぶらぶら散歩に行く。最後のショッピング。古びたお面とアンモナイトの化石を買う。これでほとんど持ち金が尽きる。お金がなければショッピングもできない。
 昼食の後、インターネットオフィスで3時間ほど時間をつぶす。1時間40ルピー(約60円)。現地の人にとっては高い金額だけど日本人にしてみれば日本でインターネットをするより安いのだ。カトマンドゥで日本の情報をたくさん検索する。暇をつぶした後、ホテルへ行く。ホテルでお別れをしたあと、トレッキング会社へ行きガイドのデーポックとマネージャーのナラヤン氏に挨拶をする。デーポックがタクシーの交渉をしてくれた。深夜で300ルピー(約450円)かかるところを180ルピー(約270円)まで負けさせてくれていた。日本人にとってはたいしたことない金額だけどその気遣いに感謝する。運転手が多少不機嫌だったので結局チップ込みで200ルピー(約300円)渡した。
 空港は、インドのデリー行きが出発したばかりでがらんとしている。久しぶりに日本人発見。話に行く。東京の社会人の人で会社を移籍するらしい。休みが少なくトレッキングができなかったと悔やんでいた。
 その人と話していたら怪しい眼をした日本人がこっちへ来た。名城大のサイクリング部の人だった。チベットのラサから自転車でここカトマンドゥまで来たらしい。すごい。彼の装備に関するマニアック度もすごい。MSRのコンロの話で延々と10分以上解説していた。こういうところ(海外)に持ってくるなら今のところMSRにかなうコンロはないらしい。
 そういう話をしているうちに2時間が経ち、続々と日本人が押し寄せてきた。行きの飛行機で一緒だった団体さんも一緒だ。ちょうど2週間でキリがよかったのだろう。一通り審査を受けて出発ロビーにいくとランタン谷で唯一いた日本人(広島大の人)がいて話をしに行った。地学が専攻らしくたくさん岩を採取したらしい。検疫は大丈夫かなあと心配していた。ハンマーを持っていかなかったのでフレッシュな岩が取れなかったと悔やんでいた。フレッシュな岩という表現がとてもおもしろく、印象的だった。
 例のサイクリング野郎も話に加わって、山岳部、サイクリング部、地学科とかなりのバカがそろい、3人で話をしているとネパールにてバカのオールスター戦をやっているようだった。こんな人種が生きている限り日本は将来に渡って安泰だろうと思った。

9月27日(水)晴れ
トリヴァン国際空港発(1:30)―上海国際空港着(7:30)―上海国際空港発(8:30)―関西国際空港着(12:00)―関西国際空港発(13:10)―福岡空港着(14:30)

 アナウンスも何もなく人がぞろぞろ動くのでその後をついていくとセキュリティーチェックが行われていた。入国審査はあんなに適当なのに搭乗前のチェックはX線の検査の後、1人1人ボディーチェックをされた。非常に厳重で驚いた。
 最後のチェックを受けすぐに飛行機に乗れるのかと思ったら、飛行機の右翼エンジンの調子が悪いらしくカバーを外してなんかいろいろいじっている。出発時間が1時間遅れた。何も説明もないし機内アナウンスで出発前に1度、謝ったのか謝らなかったのか。一応、英語でdelayと言ったのでなんか謝っていたような気がする。日本だったら電車で3分遅れただけで苦情が殺到するのにネパールは1時間遅れようと全くお構いなしである。その辺の文化は、2週間滞在して嫌というほど理解したけど最後に駄目押しされた感じだった。
 1時間遅れて搭乗。最後にきらきら輝くカトマンドゥの街明かりにさよならを言った。1時間遅れて午前2時前なのにスチュワーデスが機内食やドリンクを持って来る。こんなに眠いのに…。無視して熟睡。よって機内食を1回パスしてしまった。もったいなかったなあ。
 気づくとかなり明るい。ネパール時間の時計は、4時ごろだけど時差の関係でもう明るいのだ。上海に降りる。お金がなくて土産は買えず。上海を離陸して、朝食をとったら下に島が見えてきた。
 そのうちに街が見えてきた。深く入り込んだ湾は、長崎に間違いない。右手に雲仙。そして有明海。大牟田の街が見えた。阿蘇、九重、大分湾、四国、松山…。地理は得意なのでどこでも分かる。横のネパール人のビジネスマンに日本の地理を説明していた。彼は昔、ガイドをしていたらしい。ランタンといったら分かったし、Yala Peakまで知っていた。
 その話に昨日話したサイクリング野郎が割り込んできた。お金の両替を求めている。彼の右手に持ったネパールルピーの札束に隣のビジネスマンも苦笑いしていた。約1800ルピー(約2700円)もあったけどネパールのお金は日本では紙くず同然である。足元を見られ2000円で交換してくれたみたいだった。弱い通貨は出国前にほとんど使い果たさないといけない。特に下落傾向にある通貨は、使い果たさないと損をする。
 そういうことをやっているうちに関西空港着陸。入国審査はすごく厳重だった。ネパールから帰った人には特に厳重なチェックがあった。麻薬などを街中でしつこく売りに来るような国なので特に厳重なのだろう。それは仕方がないと思う。持ち金がたったの1000円になっていたので速攻でキャッシュコーナーでお金をおろす。再び福岡へのフライト。日本の飛行機の乗り心地のよさを感じた。そして私の2週間の旅は終わった。