春山合宿北アルプス槍ヶ岳中崎尾根


春山合宿北アルプス槍ヶ岳中崎尾根
鹿児島大学山岳部
期間:3月4日〜3月15日(4〜6は移動及び雪訓)
山域:槍ヶ岳中崎尾根(二万五千分の一笠ヶ岳、槍ヶ岳、穂高岳)
参加部員:CL香川浩士(3) SL渡辺剛士(2) 竹之内真人(1)

3月4日 西駅〜宮崎〜フェリ−
西駅でみんなに見送られ、メンバ−3人と途中まで一緒に行くことになった3人の6人で出発。だんだん人がいなくなりさみしくなった。はじめてフェリ−の風呂に入る。ゆれて気持ち悪かった。(竹之内)

3月5日 大阪〜名古屋〜中津川〜松本
この日、最後の一人とも別れ、三人になる。する事がないのでみんな寝ていた。松本駅に着くと信州大の岸本さんが迎えにきてくれていた。信大の部室は参考になるものが多かった。この日はここに泊めてもらった。(竹之内)

3月6日 雪訓 
ビ−コンの使い方などを習う為に、岸本さんとボンドさんにスキ−場に連れて行ってもらう。ビ−コンのはっきりしなかった部分もだいぶ理解できた。その後埋没体験をした。50cmも埋まっていないのに身動きが出来ず、息苦しくなった。雪崩には巻き込まれたくないとみんな言っていた。終わった後ボンドさんの家にお邪魔する事になった。家の中で道に迷ったのは初めてだった。(竹之内)

3月7日 入山 雪のち曇り 
4:10信大BOX発−6:45ホテルニュ−ホタカ前−12:45 1650M−13:50C1(予定地より少し先)
朝早く車で岸本さんに新穂高まで送ってもらう。しばらく準備をして出発。どこを見ても急登でとりあえず歩きやすそうな所をのぼっていった。雪が思ったより深く途中でワカンをはく。しばらくたっても急登でまいった。傾斜がゆるくなってくると足がずぼる回数が増えていく。中崎の鼻近くは体ごと落ちる所もあった。鼻を越えるとスム−ズに進み、中崎山の前でテントを張った。4時ごろ福岡大が通り過ぎていった。(竹之内)

3月8日 晴れのち雪 
5:00起床−7:20発−14:30C2(1942Mより手前) 
先行している福大の二人とデッドヒ−ト。この人たち強すぎ。急登ばっかでイヤニナッチャウ。C2予定地より手前で力尽きる。何も無し。ラッセルに明け暮れた一日だった。西にそびえる笠が岳が文字通り笠となっているのか、荒れても全然大した事ない。(渡辺)
3月9日 雪 
4:15起床−6:40発−13:50C3(2200M付近)
今日もラッセル。後半から福大の二人が追いついてきた。パ−ティをわけ当てダブルボッカしているようだ。一箇所岩が出たが、難なく直登。巻いてもいいが、埋没訓練で雪崩にビビッてる僕らは直登大好き。夜9時ごろ、シェラフの中でうとうとしていたら「ファイト−!」と言う声が聞こえてきた。その後テントの横をザクッザクッと歩く音が聞こえ、
それからしばらくして「ファイト−!!!」という、すごい気合が聞こえてきた。(渡辺)

3月10日 晴れのち雪 
4:20起床−6:50発−7:30キレットの頭−8:00キレット−10:00奥丸山−14:00C4(2388M)
昨日のアレは、夢ではなく現実だと朝香川さんと話して確認する。1ピッチでキレットの頭。福大が張っている。起きるのつらいだろうなあ。キレットは長さこそ100Mもないものの、高度さ10M前後でなかなか立派。下りはアイゼンでサクサク。マサト、そんな怖い顔するな。登りは何メ−トルか雪壁状で、そこから上は岩と雪と松。何しろ両サイドきれ落ちているので怖い。香川さんトップで右の岩を攻める。僕とマサトは香川さんが上から雪庇でないことを確認した後、左の方から行く。越えるとすぐに奥丸山だった。ACのプラトーが見える。ここから先は雪稜だ。昼頃から急に荒れだす。視界が悪くなって、雪庇の踏み抜きが怖いのでとっとと張る。山の天気は変わりやすい。そう、それはまるで乙女心(!)。
膝が痛いが無視。(渡辺)

3月11日 晴れのち曇り 
5:40起床−8:30発−12:30C4(2500Mプラトー)
ラッセル、雪壁、雪庇、雪崩斜面のフルコース。膝が痛い。プラトーはどう見てもヤバイ。最悪のテン場だ。地面が出るまで掘って、とりあえず雪庇の上ではないということを確認。本当にここに張っていいのか。議論が過熱した。嫌なムードだ。そこへ僕らが掘り出したハイマツのにおいにひかれてプリティな雷鳥がやってきて、いやなムードを消し去ってくれた。夜はすさまじい冷え込み。明日は晴れか。膝が痛くて、僕のアタック参加はほぼ絶望的だと思っていたので、複雑な気分だ。(渡辺)

3月12日 晴れのち地吹雪  
3:00起床−6:00出発−12:00千丈沢乗越−14:30槍岳山荘−20:00就寝
(アタック隊)今日は最大の核心であると思われたJP越えをやった。朝、剛士が膝の痛みがひどく、槍アタックを諦める。プラトーでテントキーパーだ。残念だろう。剛士の分まで槍の穂先を勝ち取ってやる。JPの通過は、縦に落ち込む急な岩稜を右から巻くようにして急雪面を登るのが一般的だが雪が結構深く雪崩の起きない保証がないので左の岩稜帯を行く。1P目ハイマツにビレイをとり45M。雪面から岩稜までほぼ直登。2P目も途中雪、岩、ハイマツをまじえながら直登。3P目は本格的に岩登りが始まる。ビレイ点をもろい岩にハ
ーケンをぶち込み、左前方に残置ハーケン目指して5M進みそこから35M直登。途中ランナーにハーケン1本打ち足して進む。しっかりとしたアイゼンでの登攀技術が必要だ。4P目のビレイ点はボロボロの岩と浅い雪でどうしようもなく、残置フィックスにプルージックと、もうひとつは雪を掘り出してハイマツの幹にとる。ナイフリッジを7Mほど進み、岩にハーケン2枚を打ち込んで登攀終了。35〜40M。あとはJPを目指す。飛騨沢乗越に向かって右上する。そこで一服。西鎌尾根の登りは、高度差がある上意外とシビアそう。飛騨沢へと落ちる数百メートルの大雪面を、尾根っぽい所を見つけてヒヤヒヤしながら登るのは本当緊張させられた。地吹雪の中、槍岳山荘の冬季小屋に入る。ホッとする。明日は槍だけは落としたいなあ・・・。(香川)

(残留隊)香川さんたちを見送った後、やることがないのでのんだくれる。福大が荷揚げしていた。16時ごろから吹雪になり、以降2時間おきに除雪。孤独に苛まれる。結局朝まで寝たり除雪したり。夢の中に人が出てくるのがつらい。(渡辺)

3月13日 晴れ
(アタック隊)8:30起床−14:00槍岳山荘発−15:30千丈沢乗越−18:45C5帰幕
朝は予想通り吹雪。8:00まで寝る。9:10から天気図をつける。すると、高気圧が予想より早く移動してきている。あわてて登攀の準備。外は明るいが烈風が吹きすさんでいる。11:30、外に出てアイゼンをはいてみるが、烈風全く止まず。13:30にリミットを定め、小屋の中でひたすら待つ。登攀準備はばっちりだ。が、風は全く吹き止まない。結局、残りの予備日、今後の天気、剛士の膝の負傷等、さまざまな事を考え抜いた結果、英断を下し、槍の穂先を諦める事にした。頭を下山に切り替え、下り始める。飛騨沢から吹き上げる烈風で、千丈沢乗越までのルートはクラストし、所々テラテラのブルーアイスになっている。そこをアイゼンの爪を数ミリ突き刺してじりじり下っていく。肝が冷える。一番怖いのはザイルを出す難場ではなく、ザイルを出さない、あるいは出せない悪場だと思う。やがて千丈沢乗越。快晴の午後なのでルートは岩稜にとる。1〜2P目は来た時と同じところをスタッカット。3P目から懸垂。この辺りから日が傾き始める。時間との勝負。懸垂支点を掘り出す。古い残置フィックス2本とハイマツでとる。20M。続いては岩にシュリンゲを引っ掛けもう一つはハーケンをもろい岩にぶち込む。あまり効いていない。25Mいっぱい。最後は岩の突起にザイルを直接引っ掛けて25M下る。香川が下り始めるころには日が落ち、大きな宵の明星が出ていた。やがて福大のトレースを辿り、剛士の待つC5に辿り着くころには笠が岳の方に僅かに残照が残り、空を星たちが埋めようとしていた。着いたら剛士が甘いレモンティーを作って飲ませてくれた。今日は何か人間のちっぽけさを思い知ったが、心地よい疲労感に包まれた。明日は奥まる山までは行きたい。おやすみ・・・。(香川)

(残留隊)朝になって天候が回復してきた。この分ならアタックは成功だろう、すぐ帰ってくるだろうと思っていたら、2人がJPに現れたのは16時ごろだった。見ている間にもどんどん日は暮れてゆく。水をたくさん作って待つ。結局二人は日が暮れてから降りてきた。(渡辺)

3月14日 快晴 
4:00起床−6:30発−10:30奥丸山−11:00キレット−12:00キレットの頭−16:30−1816のピ−ク
今日はあわよくば一発下山目指して飛ばすも、中崎尾根はそう甘くはなかった。当初の目的地奥丸山までは極めて順調。快晴の中、槍、穂高、笠の大パノラマを楽しみつつ下る。
キレットの下りで1Pザイルを出す。頭まではトレースを辿りあっけなく着く。ここで「もう危険地帯はない」という思いから気が緩み、地形図を読み間違え1816ピークで今日中に下山の思い、あっさり潰える。普段はおとなしい真人が「ウォー!」と声をあげて悔しがる。そして香川と剛士は満足する。ニヤニヤしながらのんびりとテントを張る。ここのテント場はC5に比べたら暖かく、安心して眠れた。(香川)

3月15日 雪のち雨 
4:00起床−6:20発−10:30中崎山−11:30中崎の鼻−14:00新穂高温泉
下山日は困難なものになった。冷たいミゾレ混じりの雪が雨に変わる。重い雪がワカンに付きゴジラ落としを頻繁に食らう。ひどい雪の状態に加え全員片方はワカンが壊れているので先頭がマトモなワカンをつけてラッセル。後続は片足ワカンで下る。濃いガスの中、ルートファインディングに苦労する。赤布を見つけた時の安堵感・・・。中崎の鼻手前で雷。全員びしょ濡れ。このまま山中で泊まれば危険だ。意地で下る。-500Mの最後の下りは、急な沢状に迷い込み、雪崩の危険を感じつつトラバース。その後も強烈なゴジラ落としにやられつつボロボロになって下山。そこには信大の熱血漢大木Bondさんが待っていてくれた。一緒に村営の無料温泉に入って生き返り、その夜は信大山岳会の追コンにも参加させていただき、大変楽しかった。こうして俺たちの春山合宿は終わった。(香川)

隊としての反省等
* テント場の選定が甘かった。プラトーは春は張れない
* 内張りが機能していない
* ぺミカンの煮込みが足りず、水分が多くて重かった。
* ぺミカンに工夫を。
* 怪我をした。(体力だけでなく、筋力トレーニングも)
* 出発が遅かった。(目安は2時間)
* 天気図と天気予報で天気予測を
* これ以上のレベルを目指すなら部としてのトレーニングが必要だ
* レーションは、山行の性格によるが、もっと大きくてもいい。
* 雪庇と雪崩斜面のダブル地形をどう歩くか
* もっとザイルを出そう(微妙なところで)
* 干ししいたけと高野豆腐は最高
* のりラーメンもうまかった
* 下山をもっと慎重に実はヤバかった
* 赤布をもっと持っていくべき
* ザイル使用時の意思疎通がうまくいかなかった

個人雑感 
教育学部 社会専修3年香川浩士
今回の山行は一言で言うと「重厚長大」なものであった。南ア28日間の信大の手前あまり大きな声で言えないが、鹿大山岳部としては、また内容を振り返ってみても、そういっていいだろう。3、2、1年がそれぞれ一人ずつというメンバー構成、9日間連続行動、長大な中崎尾根を七割方ラッセルする等、大変思いのつまった合宿となった。まずあの山行を共にした剛士と真人に礼を言いたい。個人としての自分を振り返ってみると、今回の合宿は初めて積雪期の本格的な合宿でリーダーを務める、ということがやる前も後も大きかったと思う。強く思ったのは、核心(アタック前後)が近づいてくると、リーダーは考える事が非常に多くなってくるということだ。天候、メンバーの体調、汝までにどこまで言ったらどうするか、予備日と行動予定の関係等、極めて忙しい。今回に関しては、小屋での「穂先登頂をいつまで粘るか」がその顕著なものだったのだが、下した判断は間違っていなかったと思う。無理をすれば槍ヶ岳をおとせたかもしれない。が、あそこで無理をしてはいけなかった。いつか西村さんが言っていた「本当の勇気がある登山者とは退く決断をできる者だ」という言葉が頭に浮かぶ。今回、槍の肩までしか行くことが出来なかったが、俺は全然敗退したとは思っていない。多分、他の二人もそうだろう。この山行をバネに次の冬山は何かすごい事が出来そうだ。あと、この春は、信大山岳会の人たちとの交流を抜きには語れない。ビーコン訓練での岸本さん、Bondさんを始め、多くのSACの方々、お世話になりました。突然の訪問者である僕たちを追いコン、佐久の岩場でのクライミングなど、懐に入れていただいて本当にありがとうございました。この交流を大切にしていきたいです。秋の屋久島、沢や藪尾根登攀の屋久島丸かじりプランを用意して待ってます。最後に、この合宿に適切なアドバイスを戴いた米澤先生、三穂野先生、気をかけてくれた部員のみんな、どうもありがとうございました。俺はいつでもこの山岳部が好きだ!何か悩みがあったら、共に山に行き、汗をかき岩にビビッて、その他何もかも共有して山で魂の語らいをしようぜ。

教育学部 社会専修2年 渡辺剛士
結果として敗退したが、内容は充実していた。自分自身にはとてもじゃないが及第点はあげられないが。忘れ物多いし。前半、いいとこ見せようとして飛ばしすぎた。まあそのうちリベンジしてやる。思うにうちの部は計画が遅い。ゆえに準備とトレーニングが遅れる。2001年度、新世紀ということで、そのへん変えていこうと思う。なんか最近、各自が目標を定め、突き進めばそれでよいと思う。僕自身は、人にとやかく言えるほど登ってはいない。今は登るしかない。「自己満足じゃねえのかい 山って」僕はそういうスタンスなので・・・。あと、ボンドさんの下宿はすごかった。

理学部 生命化学科1年 竹之内真人
夏に遠くから見た槍ヶ岳に行くことになり、モチベーションは実は高かった。雪庇やなだれそうな斜面がたくさんあり少々怖かった。ジャンクションピークの岩稜でザイルを出しながら登っていったのは反省する所も多くあり良い経験だった。槍ヶ岳に登頂できなかったが満足できる合宿だった。信大の方々にはとてもお世話になった。ありがとうございました。
 (あ〜しんどかった。もうパソコン打ちやめようよ ライター渡辺)