山行名 冬山合宿2001年度
山域名 北アルプス 蓮華岳東尾根
山行日 2001年12月27日(木)〜1月2日(水)
メンバー CL:久保耕太郎(3)SL:渡辺剛士(3)竹之内真人(2)塩谷寿男(2)福田仁(2)香川浩士(4)


行動記録


【入山日】12月27日(木)  雪時々晴れ

(3:00)起床−(5:00)出発<信濃大町駅のパチンコ屋の前でビバーク>−(7:00)渡渉開始〜(8:00)渡渉終了−(14:00) C1着<1412M>

 タクシーをひろい、日向山のゲートまで行く。そこから林道を1kmの渡渉地点(黒沢出合)で渡渉し、蓮華岳東尾根の末端に取りつく。水深は膝下程度、水温は冷たい。全員プラグツを脱ぎ、裸足で渡渉。ストックをついてバランスを保つ。尾根は最初から急登。取り付きから高度差約50M登ったところ所で塩谷が30〜40m(目測) 滑落。

場所の状態は非常に急で、雪はやわらかく20cm程の積雪。先行する1〜2人が通った後は雪の下の土やヤブが現われ、後続が苦労する状態だった。この時、塩谷が5番目を歩いてた。4番手はかなり先行していて距離があり、塩谷が滑落した時も気付かない程だった。「木をつかんで登り、急いでいたため足場に目をむけず手だけで登るかんじだったがつかみそこねた」(塩谷)。

滑落した時の状況・・・尾根から籠川側の斜面を「途中、木があって止まろうとしたが止まることができず、足位置と頭位置が入れ変わるように1回転ほどして最終的に木の近くに雪が積もっていて斜面が多少ゆるやかな所で足が雪面にキマッて止まった」(塩谷)。 「ザックを背負ったまま、あお向けになったまますべっていた」(久保)。久保と香川が塩谷の滑落の地点まで行き、塩谷を落ち着かせて空身で登り返させ、香川が塩谷のザックをかつぎ登り返した。塩谷は幸いにも無傷だった。

その後協議し、アイゼン+ダブルボッカという案がでたがアイゼンをはけばその必要はないということでアイゼン+フルボッカで行った。

結果、この後の行動は順調に進んだ。

入山前から竹之内は体調が悪く、悪化する。「気分が悪く、腹をこわしてた。バテた(竹之内)」。渡辺もこの日寝不足から体調が悪かった。「体が重かった」(渡辺)。この日の後半のラッセルは膝下程度。

Q なぜそのような急な尾根でザイルを出さなかったのか

・ ザイルを出す程、技術的に困難な所ではなかったの。

・ 日のあるうちにC1に着くにはこの斜面でザイルを出していては不可能だった。(香川)

◎ 滑落後の対応・・・・・・アイゼンをはかせて急登に対する技術的な対策を行った。休憩を取り塩谷本人の滑落への動揺をとろうとはかった。滑落の深刻さは皆の意識にはなかった。

【2日目】12月28日(金)

(5:00) 起床−(7:45)出発−(13:00)C2〈1730M〉−(14:00) 引き返し−(16:30)C2着 −(20:30) 就寝

朝、1時間程起床が遅れる。竹之内の体調が悪いので2張のうちの1張(エスパース3テン)をC1に張ったままにし、竹之内は午前中休養をとるようにする。残りのメンバー5人で出発。先頭は空身でラッセル。ラッセルは膝程度、急登では太もも程度。所々ササの所で雪がいやらしいつき方をしている。

尾根を忠実に行くと岩にはばまれ、右から巻きぎみに行くところで巻いている途中、福田が木の根に足を滑らせ10M弱(目測)滑落した。落ちた斜面の状態はかなりの急斜面で細かい木がまばらに生えた状態だった。「足を滑らせ横に倒れ滑り始め、ピッケルストップしようとしたが効果がなく再度試みようとしたところ木があったので木をつかんだが、止まることができず、その直後木にワカンが引っかかりあお向けの状態で頭が下になったまま止まった。」(福田)

福田のところまで久保と香川が行き、福田にザックを下ろさせて空身で登り返させ、香川が福田のザックをかついで登り返した。

その後の対応としては滑落した福田の動揺をおさえるため休憩をとり、福田に上級生をつけるようにとり決めた。

それからは順調だったが竹之内をC1に残していたため予定の半分の1730M付近にC2を設営。そして竹之内をむかえに香川・渡辺でC1に向かう。そこで竹之内の体調が朝よりは回復していたので、テントを撤収し竹之内と共にC2に向かった。この往復に2時間半を要した。トレースは完全に残っていた。この日の天気図から、今後低気圧がやってくることが分かった。

【3日目】12月29日(土) 快晴

(4:00) 起床−(6:40)出発−(13:00) C3着〈2163m〉−(14:00) デポ回収隊出発−(15:30)C2着デポ回収−(17:30)C3着デポ回収隊到着−(20:00)就寝

今朝は快晴。香川以外の5人は前日話しておいたダブルボッカでスピードを上げる。ラッセルは膝程度。急登では太ももまで。数ヶ所バンザイラッセルがでる。順調に行動し、時間との兼ね合いから2160m地点にC3を定める。テント設営後、久保、渡辺、塩谷、竹之内の4人でデポ回収に向かう。下る途中に赤テープをつけて進むため意外と時間がかかる。トレースの状態はよく、迷うことなくC3に向かえたが復路の途中暗くなったので17:00頃ヘッドランプをつけて行動した。日程的に今日の段階で1日遅れ、高度にして340m遅れている。そしてこの日、週間天気予報で31日が悪天、1月1日が少し回復し、2日以降は強烈な冬型になると知る。

【4日目】12月30日(日) 地吹雪

(4:00) 起床−(6:50)出発−(12:30)C4着〈2380m〉

朝、吹雪の中出発。昨夜からの新雪が降り積もり、先頭は空身、後続はフルボッカのラッセル。行動中も吹雪はますます強くなる。

途中、やせ尾根の上に木が生えていて尾根筋を通過するのが不可能なところがあり、ザックを上から引き上げ、空身で登る。その後雪崩れそうな急な雪稜の部分に来たのでザイルを出す。ザイル50mのFIX工作、順調に通過する。悪天候とこの先の幕営適地のなさから2380mにC4を設営する。風雪の中のテント張りも厳しいものだった。この夜、今後の予定を話し合い、2日以降の強い冬型につかまる前に針ノ木峠に入るためには、明日の午後から明後日の午前までの好天を利用して最低でも2654mのコル、できるならば蓮華岳直下まで荷揚げをする必要があるとの結論に達し、荷揚げをする装備の内容などを取り決めた。明日の行動については、これまでの疲労と午前中の天候が悪いという予報を元に朝方は睡眠をとり、天気の回復をみながら荷揚げを開始する取り決めになった。

【5日目】12月31日(月) 晴れ

(9:00)起床−(11:30)荷揚げ開始−(16:00)蓮華直下〈頂上から高度50m下の地点〉にデポ −(17:30)C4帰着−(20:30)就寝

朝5時に竹之内が雪かきに出る。天気の状態は小雪がちらつき、時折風が吹いていた。前日決めていた通り朝はゆっくりと寝る。天気の回復とともに香川・久保・渡辺・竹之内・福田の5人で荷揚げに出る。途中久保は気分が悪くなり、1人で引き返せるルートだったので1人で引き返す。今日もワカンをはく。高度を上げるにつれ、雪面がクラスト気味になってきて、スピードが上がる。最低目標の2654mのコルを通過する。蓮華岳が近くなってくると扇沢側の斜面の雪が強風でとばされ、地面がむきだしになっていた。雪庇は小規模のものが北葛沢側にできていた。森林限界より上は竹ざおを立てた。その夜の話し合いで明日の午前中は天気がもつという予報のもと、蓮華岳を越えて針ノ木峠へ入ることを決め、

@ 全員の体調が良いこと

A 10時までに蓮華岳に着くこと(2時起床、5時出発、9時蓮華岳という計算により、予定時刻には余裕を持たせてある)

B 蓮華岳手前までで天候が悪化し始めた場合、引き返す

という条件を決めた。

【6日目】1月1日(火)

1月1日(木) 元旦 曇りのち吹雪

(2:00)起床−(12:30) 出発−(14:30) デポ地到着−(15:00) 蓮華岳登頂−(17:00)C4帰着

予定通り2:00起床。塩谷の体調が悪く沈殿を決定する。その後福田が昨日の行動により耳が凍傷にかかっていることに気付く。左耳の下半分が二度の凍傷で、水泡ができていて約二倍に膨れ上がっていた。「その部分の感覚はなかった」(福田)。また、両手指先の感覚がなく、色も白っぽかった。特に左右中指の状態がひどかった(一度)。これに対し耳に凍傷に効く塗り薬(コ−フル)を塗り、清潔な三角巾をガ−ゼ代わりに耳にあて、固定と保温のため目出帽を着用した。指に対してもコ−フルを塗り手袋で保温した。この凍傷に対しては、本日は沈殿ということもあり、様子を見ることにした。その後睡眠をとり、9時ごろ目を覚ます。除雪、防風ブロック建設後、テントで今後の話を始めた。福田の凍傷の話になり「様子を見る」という朝の判断が甘いという結論になり、これまでの針ノ木岳登頂という目的から、デポを回収し福田をできるだけ早く病院に連れて行くという方針に変えた。次に、今後の行動について話し合う。天候については、この日の午後から天気が崩れ、二日以降は強烈な冬型になるという予報であったので、今日中にデポを回収しなければC4に閉じこめられ、下山が大幅に遅れると判断し、急遽デポを回収する事にした。@16時にデポ地に達していない場合は引き返すAホワイトアウトになった場合引き返すBそのほかに何か不安を感じた場合すぐに他のメンバ−に伝える、という取り決めをして出発。

デポ回収のメンバーは体調のよい香川、久保、竹之内の3人。トレースはほとんど消えていたが、その状態の中でも前日のトレースをひろっていくようにして進んだ。吹雪いていたが視界は200m程度あり順調に進んだ。途中でワカンからアイゼンに履き替え2ピッチでデポ地に到着した。そしてまずデポした荷物をすべてザックに入れ、蓮華岳へ登頂するか短い話し合いをした後、空身で登頂することにした。(デポ地〜蓮華岳 往復15分)C4への帰りはトレースが消え、途中で一度ルートをはずすこともあったがすぐに気付いて引き返しC4に到着した。視界はかなり悪くなってきていた。

この夜、福田の凍傷について、耳は朝と同様に薬を塗り清潔な三角巾を患部にあてさらしで固定し目出帽をかぶせ保温した。指に対しては、ぬるま湯で手をあたためその後薬を塗り手袋をした。凍傷の具合は朝と比べ悪化はしておらず水泡は縮んでいた。翌日の行動については少々の無理をおしてでも1日で下山するということに

【7日目】1月2日(水)雪

(4:00) 起床−(6:50頃) 先発隊出発−(7:30頃) 後発隊出発−(14:00頃) C2〈1730m〉出発 −(15:00)C1〈1412m〉−(17:00) 懸垂下降開始 −(22:00) 渡渉開始−(22:50頃) 福田転倒−(23:15頃) 林道到着−(23:30頃) 林道出発 −(24:00) ゲート〈日向山〉−(24:50頃)警察車両が到着〈渡辺、福田乗車〉 (残り4人乗車) −(25:20頃)渡辺・福田が大町病院到着−(26:00頃)4人が安曇総合病院到着

朝、テント撤収に時間がかかり遅めに出発。出発してすぐの雪稜でザイルを出し、Fixして通過。そのすぐ下の悪い斜面(行きに空身で荷揚げしたところ)は、懸垂で通過。ラッセルは膝程度で、所々ゴジラ落としに遭う。慎重にルートファインディングしながらもどんどん高度を下げる。天候は朝方雪がちらつくが無風。下るにつれ降雪が増してきた。C2とC3の間でルートを外し、約150m登り返す。その後C1まで順調に下る。C1では福田の耳の凍傷の具合を、久保が見て悪化していないことを確認。この時点で、「もうひとふんばりで下山できる」と言うのが共通の認識であった。その後下降を開始するが、1ヶ所ルートを外し、正規ルートの発見および登り返しに時間がかかった。(登り返し約50m、非常に急峻。福田はこの登り返しでかなり体力を消耗する。)このあたりからだんだん暗くなってきたので先を急ぐが、急な斜面で滑落する危険があったのでザイルを出し、ワカンを外し懸垂に切り換える。このあたりで日が暮れかけ、行動に支障が出るのでヘッドランプを出す。懸垂する際、尾根を外さないように気を付けていたが、途中から尾根を外し篭川斜面に下降してしまう。25m4回の懸垂で川岸に下りる。ここで、非常に時間をとる。その理由として、次の3つが挙げられる。

@ 斜面が非常に急で、フルボッカ、ヘッドランプという厳しい状況での懸垂であった。

A 一連の懸垂の操作が未熟であった。

B 沢の音で声がかき消され、ザイルの上と下の者との意思疎通が困難であった。

この他、途中でヘッドランプの電池が切れる者がでてきてそのために時間がかかった。

この後渡渉に入る。順番は、香川、久保、竹之内、塩谷、渡辺、福田。香川、久保、竹之内までは問題なく渡渉を完了。塩谷の渡渉の際、それまで投げて渡していたストックが1本川に流され、ストックが1本の状態であった。かつ塩谷の渡渉の状況は、ストックを使用せず、ピッケルをストック代わりにし、プラ靴を片手で持っていた。ヘッドランプが切れていたので向こう岸から久保・香川が照らしつつ渡った。足を拭き終わった香川・久保が林道まで距離があるので先行してトレースをつけた。(荷物は背負っていた。)渡辺もピッケル1本で問題なく渡った。この時点で林道側の岸には渡辺、香川、竹之内がいた。最後に、福田の番になり、ザックを背負おうとするが、それすら苦労していた。手にはストックとピッケルを持ち、さらにプラ靴を脇に挟んでいた。ヘッドランプは電池が切れていて対岸から香川と竹之内が照らしていたが「暗くてよく分からなかった」(福田)。その後、渡渉を開始したが、歩調は遅く、川の流れに対してためらった様子であった。やがて川の中ほどで、「前に出した足が流され、バランスを崩し」(福田)転倒した。「やばい倒れ方をした」(香川)。「糸が切れた人形のように倒れた」(渡辺)。福田の倒れ方は前に倒れたが、両手でつっぱっていたので下半身と両腕が濡れるにとどまった。(つまり四つんばいの状態であった。)

即座に香川が川に入り福田の救出に向かった。すぐに立たせようとしたが、ザックの重さと福田の立とうとする動きがみられなかったので、すぐに渡辺・竹之内を呼び福田のザックをとらせ、空身にして香川・竹之内が支えながら岸にかかえあげた。渡辺はザックを引き上げた。岸に上げた後、すぐに福田のぬれた足をふき、渡辺の乾いた靴下をはかせた。靴については福田のプラ靴が一足流されていてインナー1つしか確認できていない。その片方を竹之内がはかせようとしたが,足の硬直および福田自らはこうとする気力もなかったため、はかせることをやめ香川のプラ靴のアウター(プラスチックの部分)をはかせた。(この時、助けに入った三人もプラ靴のまま川に入っており足はぬれていた。)そして、福田は空身で林道に向かった。順番は香川,福田,渡辺,竹之内で、渡辺,竹之内は自分の荷物を背負っていた。(福田の荷物は川岸に残置した。この混乱の中、ワカン,プラ靴,ストック等の装備も流されたまま。)

  林道に着くとすぐに香川が待っていた久保,塩谷に事態の急を伝えツェルト,バーナー,コッヘル,テルモスを準備させ、ツェルトの中に福田を収容し、バーナーで空だきをしながら体を温め、あたためなおした紅茶を飲ませなおも空焚きを続けた。この時「右足はインナーをはいており、左足はインナーなしでなおかつ靴下もぬれていたので乾いた靴下を二重にはかせた。右足のインナーはぬれていたのか確認していない。」(久保)この際、福田のぬれた下半身については、「乾いたジャージを用意していたが、混乱の中忘れていた」(久保、竹之内)

このまま温めるよりも車止めのゲートまで下ろして一刻も早く救急車に乗せるのが最善の策と考え、全員の荷物を林道に残し、コッヘル,バーナー,ツェルト,携帯電話を持ち出発した。渡辺,竹之内がトレースをつけるとともにゲートに着いた時点で救急車を呼ぶため先行した。残りの三人が福田に両側から肩を貸しながら歩いた。約30分後にゲートに着き、119番で救急車を要請。寒気のため途中で切れたりしたが、何とか状況を伝えることができ、来ていただけることを確認できた。福田と付き添い以外の四人も下山するためタクシーを呼んだ。この間、先程と同じようにツェルトの中に福田を収容し、バーナーで空だ遠くから近付いてくる救急車のサイレンを確認したがすぐ聞こえなくなった。(これは林道に新雪が約30cm積もっておりゲートまで救急車が入ってこれなかったためと後になって分かった。)その後待っても救急車のサイレンが聞こえいため、雪に阻まれ引き返したと思い、さらにもう一台タクシーを呼んだ。その後、救急車,タクシーともに来ず約40分まった。待っている間は非常に長く感じられた。その後警察車両が到着し、福田とSLの渡辺を下で待っている救急車まで搬送してもらう。その時残っている四人も凍傷の可能性があったので、その旨を伝えると二台目の救急車で運んでくれることになった。救急車の中での福田の意識はしっかりしており、バイタルサインも安定していた。この二人は大町総合病院に運ばれた。残りの四人もその後除雪車とともに到着した警察車両と民間車両に分乗し救急車まで搬送されそれから安曇野総合病院に収容された。

雑感

教育学部 教育学科 四年 香川浩士

 反省は、別冊の凍傷事故報告書に出し尽くした。ここでは、そこには書かれなかった、この合宿で僕が良かったなあと思ったことを書きたい。寿男が、2回ほど、俺なんかがデポ回収なんかに出でいて帰ってきたとき、テントの中で、水つくりや、飯つくりなど、地味だけど、本当に大切な部分の仕事を、しっかりと、完璧なまでにやってくれていたこと。静かに、感動した。

 剛士が蓮華をとった日に、最初と、戻ってきたときに、ラッセルして出迎えてくれたこと。心のそこからうれしかった。仁も良く頑張った。真人などは、12月31日まで、でっかいアップルケーキを担ぎ上げてくれてた。そして、耕太郎。おまえは、本当に、隊のみんなのことを考え、また、あの厳しい局面に陥ったとき、1番仁のそばにいて励まし、元気づけていた。あんなに、隊のみんなのことを考えて行動していたリーダーは、俺は見たことがないよ。本当におつかれさん。

 北アルプスの冬山、厳しかった。しかし、だからといって、「もう、そんな危ないことはやめようよ。」なんて、しんでも思わない。あの山行に参加したみんな、および、これからあとに続く後輩たちに、「冬山には、もちろん危険が多いが、その反対側には、素晴らしいことが、何物にも変え難い体験が、ある」ということを言いたい。

 今僕は、冬山の徹底的な反省の後、それを実行に移す日々を送っている。

工学部 海洋土木学科 三年 久保耕太郎

(雑感and係りの反省)

 思い出すと、ほとんどすべてのことをはっきり覚えている。それほど強烈だった。自分はこの合宿でCLとして何もできてなく、情けなく、精神的にきつかった。下山してもやることが山ほどあった。今回の事故反省を生かし、今後の活動につなげていこうと思う。こんな言い方は変だが、この事故を通して現在の山岳部の活動のあり方を見直すよいきっかけとなったのではないだろうかと私は思う。

 この冬はたぶん忘れられないだろう。決してきつく、つらいだけの合宿ではなく、よかった事も沢山あった。・・・・・・・・・・山岳ビジネスホテル伊藤での夜(小さな一例)

 最後になりましたが、部長の米澤先生、三穂野さん、参加メンバーの家族の皆様、山岳部員、その他様々な方に心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。また、現地警察、救急隊員の方々、除雪してくださった皆様大変お世話になり有り難うございました。

教育学部 社会専修 三年 渡辺剛士

 反省については別紙(事故報告書)で述べているので別のことを。あれから事故メンバ−中心となり反省したことを実行し、勉強会などは相当充実してきたが、逆にそういう風に一生懸命やっていると、やっていない者が非常に気に障る。「より高く、より困難に」とまでは言わないが、常に自分に満足せず、もっと前へ出ようとする姿勢こそが、青春している若者ではないのか?実力をどうこう言っているのではない。一言で言えば自主性がない。誘ってもらわないと山に行かない。部会で発言できない(できても大学生の議論としてのレベルに達していない。勉強しないでものを言うのは中学生である)。山岳部員としてどうだというよりも、社会人あるいは大学生としての資質をいっているのだ。それとも、あの例の、授業中はケイタイとにらめっこ、テレビの事しか話題にできない無気力大学生の仲間入りをしたいのか。止めはしないが、そういうのは俺個人としては同じ大学生として尊重する気はない。「何をしようと責任をとる事のできる範囲内において自分の勝手」というのは一般社会の理屈で、同志的結合の団体である山岳部においては話にならんガキの理屈である(沢派だとか岩派だとか登山の志向は別として)。

理学部 生命化学科 二年 竹之内真人

ヤブ、急登、ラッセル、あ〜きつかった。体調も悪かった。オーバーミトンの性能も悪すぎ。森林限界を超えたあたりはラッセルも適度にあり、すっきりしていて楽しかった。蓮華の頂上に着いたときも吹雪でなんも見えなかった。いろいろまいった山行だった。

農学部 生物環境学科 二年 塩谷寿男

今回の蓮華,針の木岳はけっこうやばかったです。特に最終日の懸垂下降では真っ暗の中すごく危ないことをしていてどうして冷静に判断できなかったのか、いかに現場での判断が難しいかを思い知りました。渡渉後、ゲートの前で救急車を待っていても全く来る気配さえなかったときは、これは全滅かもとかなり思いました。しかしメンバー全員無事に生きて帰れて本当によかったです。

工学部 情報工学科 二年 福田仁

もう少し冬山の知識を勉強して、冬山にいけたらよかったと思う。私にとってあまりにも短かった準備期間だった。しかしそんなことも、忘れてしまうくらいの体の疲労感と充実感だった。